沖縄の俳句とわたし(2)
敗戦の洞(がま)に残りし蚊喰鳥 瀬底月城 「がま」は沖縄の言葉で洞窟のこと。沖縄の島々は隆起サンゴ礁で出来ている。石灰岩は水の浸食を受けて、地中に大きな洞窟を作る。そんな洞窟が島のそこかしこに存在する。沖縄の古来の宗教は原始神道。大きな岩や樹木、小高い嶺などが信仰の対象になった。 洞窟も同様で、現在は立派な神社の建物がある波の上宮(那覇市)、普天間宮(宜野湾市)、白銀堂(糸満市)なども、元々は洞窟そのものが信仰の対象だった。沖縄の人々は古来洞窟に神秘的なものを感じて来たのだと思う。 そして洞窟は先祖を祀る場所でもあった。高温、高湿度の沖縄では、遺体を洞窟に安置するのが本来の姿。腐食による白骨化がが速い風葬は、もっとも合理的な葬儀だった。日本でも風葬があったことが神話から伺える。イザナギノミコトが亡くなった妻のイザナミノミコトを訪ねて黄泉国へ行くと、懐かしい妻の顔にはウジが湧いていたと言う。 第2次世界大戦で、沖縄は国内で唯一地上戦が繰り広げられた場所。日米双方で25万人近い犠牲者が出ている。米軍に追い詰められた島民は、沖縄本島南部の洞窟に隠れる。その洞窟を一つ一つ虱潰しに攻略したのがいわゆる「馬乗り攻撃」だった。降伏を呼び掛けても反応がない場合は、火炎放射器で焼き殺したのだ。 洞窟には怪我をした日本兵もいた。傷口にはハエが卵を産み付け、ウジが傷から沁み出た膿を舐める音が洞窟中に響いたそうだ。彼らを看護したヒメユリ部隊の悲劇は有名だ。米軍の攻撃で亡くなった者。断崖から身を投げた者が絶えなかった南部戦跡。その跡地にある摩文仁平和祈念公園で、今日戦後66回目の「慰霊の日」を迎えた。 落語家の三遊亭楽松師匠はこの日に先だって沖縄本島に渡り、各地に点在する慰霊碑を走って訪れている。毎年の恒例行事「沖縄ピースラン」だ。援助も受けず、自分の良心に基づいて日本の各地を走り巡る師匠。誰にも真似ることが出来ない立派な行動だ。 「蚊喰鳥」(かくいどり)は蝙蝠(こうもり)の別称。戦に敗れ、今は誰も棲むことのない暗い洞窟に残っているのは、コウモリばかり。戦争が終わって早や66年。平和ボケの日本だが、戦争による沖縄の傷跡は未だに癒えてはいない。