大河とリアス式海岸を眺めながら(石巻~気仙沼単独走)1
< 雨の日和山 > 前夜、妻はご機嫌で帰宅した。甥の結婚式で飲んだワインが効いていたのだろう。マラニックの当日の朝もまだ少し酔っているのか、歌が聞こえている。昨夜、「愛犬との散歩はまかせて」と言っていた妻の言葉を信じて、そのまま朝食を摂った。そして自転車で出発。微かに雨が降っている。これも想定内のこと。途中コンビニでお握りやスポーツドリンクなどを買う。実はこれが結果的に私を救うことになった。 長町駅6時19分初の電車で仙台へ。そして仙台発6時32分の石巻行き快速電車に乗り換える。松島海岸、東名浜などで曇り空の下に海が見えた。7時41分石巻駅到着。車内で読んだスポーツ紙。楽天が勝った余韻がまだ残っている。石巻駅は閑散としたもの。まずトイレを済ませ、駅舎内で上着とトレパンを脱ぐ。そして駅の外で軽くストレッチ体操。 何人かの高校生が私の方を見ていたが全く気にせず、雨の中を気合を込めて走り出す。気温が高くなるはずなので、上はへそ出しのランシャツ、下はランパンの軽装にした。そして帽子はグレーのメッシュで、背中には小型の青いリュック。駅前を左折すると繁華街。石ノ森章太郎の漫画がそこらじゅうにある。どうやら漫画ロードのようだ。 先ず向かったのは日和山公園。地図では駅の南方1km辺りにあるはずなのだが、分かり辛い。そこで女子高生に方角を聞いた。真っ直ぐ行けば公園の案内があるはずとのこと。やがて公園への標識が見つかり、山道へと登って行った。だが登り切ったところで迷子に。そこから先には何の案内もない。細い道を真っ直ぐ行くか広い道を右折するか迷って、ドライバーに尋ねると山の方向に左折するのだとか。 「不親切な案内だわい」と文句を言いながら走って行くと、確かにそれらしい雰囲気の神社に出た。案内図によれば芭蕉の像や新田次郎の石碑などがあるようだ。だが私が見つけたのは川村孫兵衛の石像。彼は伊達政宗の命により、北上川を改修して石巻をたくさんの船が出入り出来る港町に作り変えた人だ。眼下にはその石巻の港が見える。芭蕉と弟子の曾良が訪れた時、山の上からは煙が立つたくさんの人家が見えたようだ。 「石巻さ~よ~その名も高い 日和山とえ~」有名な民謡、大漁謡い込みの一節にも、当時の石巻の繁栄振りが偲ばれる。三十五反の帆を張った船が米を満載し、仙台を経由して江戸まで上ったのだ。そしてこの山はかつて石巻を支配していた葛西氏の居城だった由。政宗に敗れて滅んだ葛西氏だが、頼朝が奥州藤原氏を滅亡させた後、この地の鎮護を任され交通の要所である石巻に300年ほど陣取っていたようだ。 城跡に残る神社は香取神社。奈良時代に朝廷の命令で関東から移民して来た人々が、郷里の神を勧請したのだと思う。現在石巻市内を流れるのは旧北上川だが、太平洋とかつての北上川は往古から人々や豊かな物資や文化を運ぶ役目を担っていたに違いない。やはりマラニックのスタート前にここを訪れて良かった。そう確信した私だった。 さっきとは違ったコースで山を下る。標高60m余りの日和山だが、海の直ぐ傍にあるため、実際よりかなり高めに感じる。名前の通り、船出の日和を判断するには絶好のポイントだったのだろう。当て推量で走っていたが心配になり、老人に「開北橋」までの道を尋ねた。だがどうもおかしい。改めて地図を取り出して調べると、行過ぎていたようだ。少しだけ戻って県道石巻河北線を北上。いよいよここからが本来の旅の始まりだ。<続く>