★1月10日の夜、実兄を交えてお話し。そして、
正午過ぎ、昨日の決断通りに行動 雛子が掛かってもいいと思う心療内科まで行けるよう、 そこまで歩いて行けるよう行動範囲を伸ばす練習をしてきた。 あの大きな道路のことは何ていうのだったかな。環状線 渡るの怖くて、道路を挟んだ向かい側の歩道を歩いて クリニックの正面を見て確認して帰ってきた。 雛子は胸を押さえて、「怖い怖い」と。 私が、行った記念に写真を撮ると立ち止まったら、 「ここは怖いから嫌!」と、私を引っ張ってその場を離れた。 怖いと思う道路や場所から離れると平気になるからそこで写真を撮ったの。 これから毎日、少しずつ練習です。ちゃんと病院まで行けるように 昨日の夜、19時の約束で待っていたのに実際は20時に話し合いをしたの。 待てない子を1時間、待たすのは~ 大変でした。 脇汗半端ない状態。手足は冷たいのに全身から汗が噴きだす=雛子 実兄は現役の医師です。 会うのは本当に久しぶりでしたが、 引越しのことよりも最初から最後まで、 『病院に行きなさい』 『かあさんが死んだら(雛子を見て)ひとりだぞ』 『かあさんより先に俺のほうが死ぬだろうし、かあさんもいなくなったら どうやって生きていくんだ これからのことをきちんと考えなさい』 精神科、心療内科に掛かること、 薬を服用して外出できるようになりなさい、とのこと。 私が薬の服用をよく思わないと告げると、その前からだけど、 『おふくろさん(亡き母)から何を刷り込まれたか、 医学は進歩しているのだから個人個人に合う薬も沢山あるんだ。 行動範囲をもっと広げてどこでも行けるようになってからでもいいし、 それから家探ししてもいいのだから、いまは人に会うことも無理だろう』 家探しは協力すると言ってくれた。 私たちが出て行ったら、兄夫婦の家を次女家族が住み、 私たちの家の方をリフォームして兄夫婦が住むと言った。 エレベーターは取っ払う予定とも。まだ未定らしいが。。 あと、近所に住むことは全く構わないと。 逆に近くにいてもらいたいと。 遠くだと様子伺いに行けないとも言っていた。 縁を切られるわけではないんだ。ちょっと安心した。 兄は雛子に対し、私の病院(乳がん後)に行けないこともきつく説教した。 定期健診に行けるようになりなさい、と。私も行きたいよ~ 10年間、雛子の病院に行けなかったこと、 もっと早い時期に、心療内科に通っていた頃、合わないからと止めずに ほかの病院にふたりで行くべきだったと言われた。 雛子がいまよりも歩けたときに何件も行くべきだったと言われた。 これは兄から私への説教。きつい言い方ではないけれど、 3時間近く待ってやっと雛子の番になったと思ったら 検査以外の対面では5分となかったのね。( ゚Д゚)ハァ? 状態。 もういやだ、ってなっちゃって!! それからはどこの心療内科にも行ってないの。行っても同じと思ってしまったの。 伯父と話して良かったと雛子は言った。 雛子の中の伯父は怖い存在だったけれど、真面目に話したのは10年ぶり 祖母の葬儀以来だと雛子は言った。私は 2年ぶりかな~ まともに対面して話すのは、私も母の葬儀以来かな。 父の葬儀の時は、姉も兄も私から離れて座っていたし、 10年ぶりに正面から見た兄は物凄く老け込んでいてびっくりした 多分、兄も同じように思っただろうけれど。 薬の服用に関しては、 雛子は今のところは、「薬でパニック障害は治らないよ」と言うけれど、 兄、伯父に言われた通りに通えるようになったら変われるかもしれないし、 いまは病院へ通えるようになれるよう、遠くへ歩く練習をする。 今日からスタート 頑張れ、雛子 みんなも応援してね~(^^)/ にほんブログ村