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兄から、荷物が届いた。
父の持ち物のほんの一部だけど、形見としてもらったものだ。 父が亡くなった時兄から、 「体調が落ち着いたら、じいちゃんの持ち物を見においで。 それまで、片付けずに置いておくから」と言われていたので、 8月はじめに兄宅へ行った。 戦後の物の無い時代を過ごしたからか、元々の性分か、 多分両方だろうが、いっぱい物を仕舞い込んでいた。 昔から整頓は良くする父だったが、とにかくたくさんの物がある部屋を 兄夫婦が掃除して片付けてくれたのは、良く分かった。 兄が「要る物があったら言ってくれ」と言われ ひとつひとつ見ていると、 父の若い頃の写真や、好きで集めたらしい少しばかりの焼き物、 趣味でやっていた木彫、それに日常使っていた身の回りの物もあった。 特に昔のアルバムは、懐かしい子ども時代を思い出させてくれた。 母の死後の片付けは、兄が遠方にいた事もあり、 父と2人でやったのだが、私が若かったからか、 何を見ても悲しくて捨てられない気持ちで、泣いてばかりだった。 でも天寿を全うした父の持ち物を見ても涙が出る事もなく、 兄と思い出を話し合って笑った。 私は「本人が使えば、物の役目は終わったから処分してもいい」と思うだが、 父の日に私が贈った、ガラス工芸の文鎮と、 タグが付いたままで全く使われずにいた甚平2着、 あと、母が縫ったであろう父の着物2着をもらう事にした。 それらと、夫が使えそうな未使用で大量のソックスなどを送ってもらうことになった。 「これで、片付けが出来る」と言っていた兄夫婦だが、 残った物を処分するのも、かなりの量なので大変だろう。 父の死に関しては、遠方だし、ガン治療中だったので、 全く手伝う事ができなくて、全て兄がやってくれた。 本当に申し訳なく思っている。 さて、届いた荷物を開けて、すぐに甚平2着を洗濯した。 肩が痛いので着替えしやすいから丁度良いと、 本麻の長い甚平は湯上がり着に、 綿のパンツ付きの甚平はパジャマにして早速着た。 「こんな快適な物はどんどん使えば良かったのに」と父のことを思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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