カテゴリ:2010*2号の事2
2号は
あんな病気だったのに 今にも起きだして来そうなくらいに普通の顔 かすかに笑みさえ浮かんでる ・・・ 切ないよ たくさんの人がお別れに来てくれました 1号関係の保護者さんたちは全員 2号関係の人たちは一部 私が連絡したのは5人だけ それなのにこんなに・・・・・。 何人かは子どもさんも一緒 ありがたいことですね ===ここからは見苦しいかもしれないけど 赤裸々に綴っていこうと思います=== 1号はお小遣いから1万円を持たせてやって 2号の従姉妹がマックのハンバーガーとシャカシャカチキンを入れてくれた 母としては・・・ サッカー関係のものかテニス関係のものか迷ったけどテニスの本・ラケット・ボール (本はカバーだけ、ラケット&ボールはお骨にビニールが張り付くからとボツになったけど) そうこうしてると、 突然1号のキレる声 ・・・ 舅につかみかかりそうになるのを必死で止める私 で、 舅の弟であるおじさんにわけも聞いてもらえずに一喝された1号 実父であるダンナに「出ていけ!」と言われた1号 泥沼になりそうな重い空気 ・ ・ ・ 原因は 「じいちゃんが(舅)がへらへら笑いながら何かを言ってきた」 日本人特有の困ったときのごまかし笑いのような感じ これは感じる人と感じない人がいるし 当の本人も笑ってるつもりないからすごく難しいし わかる派とわからない派にわかれると思う 私はすごく共感できるカチン!!とくるとまどい加減の笑い顔 実は今までも何度かあったんだけど 今回ばかりは2号のこんな時やから止めがきかなかったんだと思う 実はカミングアウトすると 去年度の初めに1号は 母である私が生活時間に厳しすぎるからと 義実家へ移ってました でも今回の事で実父に出ていけ!と言われて そのまま居続ける事を出来ない1号 再び私が引き取る形になりました ・・・1号面倒臭いヤツらしく扱いに困ってた舅姑、 何度か涙目でどうしたらいいのかと姑に相談されましたしね きっとホッとしたことでしょうね。 円満に私のところに戻ってきた事になるんでしょうか(苦笑 そして2号の横に布団を敷いて寝られる最後の夜 2号に触れられるくらい近いところに1号 その横に私 少し離れて姑 だいぶ離れたところにダンナ 寝られるわけないよ! と、思っていたのに いつの間にか寝いていたみたいで 私ってこんな時でも寝れるんだ・・・ と、ちょっとショックでした 話は少し戻って病院 病室の明け渡しは実妹たちに任せて 私の車は落ち着いたら取りに来ることにして残し 病理解剖・・・これも賛否両論あるだろうけど私と1号が同意しました 最後まで見届けておきたいから。 そして 病棟の手の空いてるDr.、看護師さん、リハビリ科の先生 たくさんの人に見送って頂き あわただしく病院を後にして 帰宅 帰宅先は義実家 2号は一度も暮らしたことはないけれど こればかりは仕方のないことだし わけもわからず言われるままに いろいろなことをこなして 足が地に着かず落ち着かない感じのまま過ぎようとしてました。 ============================= お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.04.23 11:05:05
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