投資手法を守るのではなく、守れる投資手法を選ぶ
意識しないと守れないような投資手法であるなら、それは投資手法の選択に誤りがあるという事になる。人間は各々性格が違うのだから、儲かっている人の勧める投資手法だからという理由で、無理して自分に合っていない投資手法を選ぶ必要はない。逆に、他人の投資手法を真似ている限り、誤った対応をするというリスクが伴う。何度も何度も「むぎゅ。」で述べているが、投資において最重要である基礎の一つに、投資哲学の確立がある。投資哲学の確立なしに、投資手法の確立はない。自分の性格に合致していない投資手法を選定する事により、投資手法がコロコロ変わってしまうという無駄なリスクを抱えている事になる。確かに臨機応変に対応を変えるというのは場合により必要である。しかしそれは、絶対に変えてはいけない投資哲学を元に、変えて良い範囲で手法を変える、というのが条件である。投資哲学を変えるのは、非常に大きなリスクを伴うのはいうまでもない。近年、バリュー投資家の多くがテクニカル分析を多用するようになってきた。一昔前、バリュー投資家の大半はテクニカル分析を全く役に立たないものと馬鹿にしていたにもかかわらず、僅か1年程度でここまで劇的に様変わりしている状況に危機感さえ覚える。「むぎゅ。」では過去、テクニカル信者を徹底的に馬鹿にしつくしているバリュー投資家を馬鹿にしていたが、全てを理解した上で、テクニカル指標は役に立てるべきではない、という哲学はあるべきだと思っている。バリュー投資家の多くはそのレベルまで達していないが、将来その投資哲学まで達すると思っていた。「一般に個人投資家でバリュー投資と言われている軍団はファンダメンタルの最遅行組」という自己矛盾と正面から向き合い、自己批判をした上で、それでもバリュー投資を選択する。「むぎゅ。」でも再三繰り返してきたが、バリュー投資家が成長する次の段階として自己批判は必然である。自己批判なくしてバリュー投資に未来はない。これが正しい流れであり、それ以外はありえない。全ての投資手法はすべからく間違っている。正しい投資手法というものは存在しないのである。市場で唯一の真実は株価のみであり、株価は常に適正価格である。割安、割高の判断の方が常に間違っている。そのような矛盾した前提の上でしか、資本主義社会は成り立ちえないのである。そこまでを理解した上で、それでもバリュー投資を選択するかどうか。その上でバリュー投資を選択するのは間違っていない。しかし、正解ではない。株式市場に株価以外の正解は存在しない。完璧主義者は撤退するべきである。