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カテゴリ:幸せになる
コミュニケーションを生きる
「月刊 psiko」 3月号の中から気になったトピックをご紹介。 感情の心理学「羞恥心」 思いがけず人から誉められると恥ずかしい。 人前でけなされても恥ずかしい。 人から見られていないときにも、恥ずかしい気持ちは生まれる。 思い出すだけでも顔が赤らむ、強烈な恥ずかしさ。 携帯電話のように、誰しもの心のポケットに入っていて、事あるごとにベルを鳴らす 羞恥心は不思議な感情だ。 ブレーキだけでは車は前に進まない 「君の能力はさすがだよね」と誉められたとき、 慌てて「そんなことありません」「誉めても何も出ませんよ」などと 言ったことはありませんか。 このような弁解は、相手の期待レベルを無意識のうちに下げようとするものです。 安定だけを求めていては、仕事で活躍したり、恋愛で前進することはできません。 より高い期待に応え、自分の評価を高めてこそ、社会から受ける恩恵も増えていくのです。 安定した状態を求める羞恥心がブレーキならば、 自分の長所をアピールする自己顕示欲はアクセルです。 アクセルを踏めばリスクは高まるので、つい羞恥心というブレーキをかけたくなります。 しかし、ブレーキをかけると、リターンは小さくなってしまいます。 アクセルとブレーキを踏み分けながら、なんとか事故を起こさないよう運転しているのが 人間の姿なのです。 若い頃は守るべき立場がないので、少々ムリをしてでもアクセルを踏んで評価をつかもうとします。 そのため失敗して恥をかくケースも少なくありません。 一方、年齢を重ねると自分の立場や社会的評価が出来上がってくるため それらを今さら危険にさらすのはどうかとアクセルを踏むことを躊躇しがちです。 しかし、ブレーキを控えめにしてアクセルを踏まないと、車は前に進みません。 いつものパターンを守っていても、結局何も変わらないのです。 多少リスクは高くてもアクセルを踏み込んでみることも時には必要です。 羞恥心は、自分に向けて発せられるひとつの警告信号にすぎません。 その信号を受け、どのような行動を取るかはあなた次第なのです。 羞恥心のベルが鳴ったら、すぐに「失敗したくないからやめよう」と考えるのではなく まずひと呼吸置いて、 「この程度ならばまだ大丈夫」などと冷静に判断できるようにしたいものです。 日本人は羞恥心を持つことが良いとされる場面が多い気がします。 今はファーストフードが進出して、そとで食べ歩きをしていてもなんともなくなりましたが、 いまだにうちの母は外で立ってジュースを飲むことも許しません。 大人になった今でも叱られます(汗) そのような羞恥心は誰に向けてなのか? と考えると自分自身なのですよね。 鑑定をしていて多いのが、恋愛に対する「羞恥心」の相談。 「羞恥心」という作用がやっかいである場合が多いのです。 「嫌いと思われたらどうしよう」 「今のままの関係が壊れたらどうしよう」 「話したことないから、話しかけられない」など まさに心のブレーキがかかっているんです!!! しかし、ブレーキを控えめにしてアクセルを踏まないと、車は前に進みません。 いつものパターンを守っていても、結局何も変わらないのです。 この言葉、大事だと思います。 風水の先生が 「いつも会社と家の往復では出会いはない」 とおっしゃっていました。 いつものパターンでは出会いたくても出会えません! ぜひぜひ少しでもアクセルを踏んで前に進んでみませんか お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年03月27日 11時48分39秒
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