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とんかのクローゼット

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2008.08.12
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カテゴリ:いろいろ
8月はわたしの誕生月で、夏休みという子供にはありがたいものがあるんですが
わたし自身はむかしから8月が苦手です。

最も古い8月の思い出は親せきを訪ねて5歳の時に広島を訪れたこと
もちろん、滅多に行けない広島に行くのですから
原爆資料館にも足をのばしました。

夏の熱い日差しがつくる自分の影の濃さに
影だけを路上に残した人をおもい
皮膚の焦げるにおいを感じました。
阿鼻叫喚の中にいたのはわたし自身だったのかもしれない。

子供の感受性はおそるべきものです。

それから、もっと古い記憶だと思うのですが
フィリピンの自宅の芝生の庭を
死んでひからびた虫を蟻たちが運んでいく姿も印象的でした。

フィリピンといえば、
日本軍が残した苔むした砲台もあの頃残っていました。

強い陽射しは死のにおい。

小学生の頃は取りつかれたように戦争手記や社会問題の本を読みました。
好き、というより、読まないことが死者への冒涜のように思ったのです。
「イタイイタイ病」について読んだのは5年の頃。
南方戦線の兵士のほとんどが餓死者であったこと
満州国建設の搾取の過程、南京大虐殺も小学生時代に読みました。
「はだしのゲン」は原爆の恐ろしさが投下直後だけでなくあとを引くものであったことを
教えてくれました。

戦火をくぐった老翁は涙を流して呻いておられた。
「ほんとうに善い人は誰一人帰ってこなかった」

死そのものよりも恐ろしいのは
残虐な死をたやすく他者に与える人間の心の鈍さ。
他者の苦しみの上に繁栄を築く姿。
経済大国といわれる国の繁栄に連なる日本人はそれだけで罪深いのです。

エアコンの効いた高級車の後部座席に乗って
路上で花を売る自分より年下の子たちが残した指跡を見ていたのは中学1年の頃。
「買って」と叩く彼らを見てはならず
窓を開けると大変なことになると信号が変わるのを待ちわびていました。

今、わたしが信仰をもつようになったのは
死と、人間への恐怖が底辺にあるのかもしれません。

わたしの両親はキリスト信仰をもたない人々ですが
わたしの宗教教育はあの日の平和教育からはじまったのでしょう。

母は原爆資料館に連れて行ったのは早すぎた、と言っているのですが
人間として生まれてきたのだから
人間の歴史を共有するのは大切なこと
子供も人間の現実を知る必要があると思うのです。
なぜなら、今も5歳の「何も知らない子」が戦火や貧困という現実に直面しているからです。

そう言いながら、かめと同じ髪型をした女の子が出てくる「ホタルの墓」は
もう見れない今日この頃です。

今年も終戦記念日が近づいてきています。
今は「終戦」の時代なのか「戦前」なのか。「戦中」なのか。
戦争は平和を叫んでとめられるものではない。

自分の心にある怒り、恨み、保身、独善をのぞかないかぎり
砂上の楼閣なのです。





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Last updated  2008.08.12 14:34:43


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