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めでたし×めでたし

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2011年11月28日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
私の祖父も戦争に行きました。



日本が戦争に負けると、祖父は仲間と共に、極寒零下40度にもなるシベリアに4年抑留されて、

過酷な労働を余儀なくされ、多くの仲間が亡くなる中、辛うじて生き残り、

日本に帰ってきました。



「毎日、仲間の遺体を背負って外に運んでいた。」



そんな話を少しだけ、聞いたことがありました。



祖父は日本に帰ってきた、激しい胃潰瘍になり、手術をしなければ死ぬ、という

ところまで体調を崩したと聞いていました。



ところがせっかく戦争から生きて帰ってこれたというのに、手術を拒み、

症状が悪化していく中、家に籠り死を待つ日々が続いたそうです。




その間、祖母は子供3人を養うために、小さい体で必死に働いたと言います。



祖父が手術を拒み、手遅れになる寸前、祖母に新たな命が宿っていることが
わかりました。



それが私の母でした。



新たな命が宿ったことで、祖父は生きる決意をして手術を受け、助かったそうです。



この話を聴いて、私は不思議に思っていました。




「せっかく生きて日本に帰ってこられたのに、何で祖父は死を選ぶような真似を

 したんだろう・・?」




でも、その疑問は聞けないままでした。



祖父も祖母も、戦争のことはあまり語らずに亡くなりました。



あまり語らないので、話したくないのかな、と子供の頭で考え、祖父母が語る以上のことは、
聞かずにいました。



今思えば、語り継ぐには、当時の私はあまりにも幼なかったのでしょう。




そして私は大人になっても、「語りたくても語れなかった現実」があったことを、

知らずに生きていたんです。





長年抱いていた祖父への疑問が解消されたのは、この歴史を知る旅の途中でした。




祖父の話をすると、その人は頷いて、



「おじいさんが死を選びたくなるのも無理はない。

 戦中戦後の価値観の変わりようは、天地がひっくり返るほどだった。



 赤紙で国の命令で出兵し、国を守る英雄として戦争に送り出しておきながら、

 敗戦して命からがら逃げ帰った者を、”戦犯”扱いしたんだから・・。



 戦後、戦犯として処刑された人も大勢いた。

 戦争へ行った多くの人間が、公職追放をされたりして、職を失ったんだよ。
」 




私はその時ハッとしました。

記憶が鮮明に蘇ってきます。



「こうしょくついほう」



子供の時に、


「おじいちゃんは戦後、”こうしょくついほう”されたんだよ。」

悲しそうに語った、祖父の姿を思い出しました。




子供だったから、”こうしょくついほう”の意味が、わからなかったんです。



戦争のことは、あまり語らずに亡くなった祖父母。



幼い私を見て、

「語り継ぐには、あまりにも幼過ぎる、理解できない事も多かろう・・。」そう思いながらも、

それでも祖父母はポツポツと私に語り継でいました。





今まで眠っていた、語り継がれた記憶は、恐ろしい勢いで蘇ってきます。



「おじいさんは家から出なかったんじゃない。

 たぶん、出られなかったんだよ。」




私は一瞬めまいがしました。




なぜ私は、自分の国のことなのに、おじいちゃん、おばあちゃんが経験した歴史なのに・・、

なんで何も知らないんだろう・・




~つづく~

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最終更新日  2011年12月01日 00時34分21秒
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