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2022.05.13
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カテゴリ:育児

医師になってまなしのことです。

休日の宿直の日のことです。

妊娠26週の早産のかたが、母体搬送されてきました。

交通事故にあったあと、子宮収縮が始まったようです。救急車で搬送されてきたときにはすでに子宮口は全開しており、なすすべもなくあっという間に出産に至ってしまいました。

NICU (新生児集中治療室)もない時代のことです。母校にNICUができたのは1989年の事です。その当時の医学では到底救うことのできない赤ちゃんでした。小さな赤ちゃんを看取った悲しい経験でした。

このときの悔しい気持ちを今でも忘れることはできません。私はもともと未熟児や新生児の世話がしたくて産婦人科医になりました。

その当時大学病院によっては新生児未熟児を小児科で診ているところと産婦人科で診ているところがありました。私の母校は産婦人科で新生児未熟児を扱っていたので産婦人科医になりました

新生児医療の目覚ましい進歩により、以前はあきらめなくてはいけなかった小さな早産未熟児が今では育つようになりました。

いま、往診に行っているお子さんは26週出生の早産児です。隔世の感を感じます。

しかしこのような小さな赤ちゃんを育てる事は大変な労力を要します。私たち医師だけではなく看護師も大変な努力をして赤ちゃんを育てます。

ところがこの小さな赤ちゃんが大きくなってみると虐待される子供が多いこと、

他の人とコミニケーションがうまく取れないので登校拒否になる子どもが多いなどと言う事実は新生児を取り扱う医師を悩ませました。

NICU収容によって引き起こされた母子分離の弊害が明らかになってきたのです。

この事実に私たち周産期医療に関わるものは愕然としました。

「私たちは、一体何をしてきたのであろう」

この反省から、親子の絆を結ぶために、赤ちゃんが落ち着いたらできるだけ早く面会して親子の絆を育むようになりました。






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最終更新日  2022.05.13 07:09:38
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