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日曜日に実家の母の入院に付き添い
月曜日に手術に付き添い 火曜日に義父が救急車で運ばれて輸血に付き添い 水曜日は義母の送り迎えと義父の輸血に付き添い 木曜日は息子の病院と義父の病院と義母の送り迎え 金曜日は母の退院に付き添い 土曜日は義父の検査で多分付き添い~ 友達よこれがわたしの一週間の仕事です~ チュラチュラチュラチュラチュラチュララ~~ という事で、自分でも笑えてくるほど人気者な一週間でした。 昨日までは、PCを開く余裕がなくて、やっとひさしぶりに今日開くことが出来ました。 母の手術は前から決まっていて、大腿ヘルニアなので、そんなにたいへんな手術では なかったかのですが、三連休のお友達との旅行もキャンセルさせてもらって、母のため に空けていた一週間でしたが、思わぬ義父の入院で、てんやわんやの一週間でした。 義父はとんでもない貧血で(ヘモグロビンが5)原因はわからないけれど、とりあえず 輸血を400ccづつ二日間しました。 意識はあるのですが、朦朧としていて、状況がわからなくなるようで、点滴が外れない ように、包帯を巻いて、上にマジックテープとかた結びで巻きつけた布を外して点滴を 抜き取って、(うえ~ん血まみれだ~)心電図を剥ぎ取ってしまうので、とにかく輸血 の間は目が離せず、初日は深夜まで義母と付きっ切りでした。 耳がかなり遠くなっている義母は、パニック状態だったと思うのですが、記憶の方も あいまいで、大きな声でゆっくりと丁寧に何度も説明しないとなかなかわからなく なっていました。 (本来はとっても頭のいい人で、難しい薬の名前もよく知っているし、病気の知識も 豊富で、論理的にきちんと色々な事を説明してくれる人だったです。) 私は何度も身内の入院を経験していますが、本人が頼りなくても、主に介護している人 がしっかりしているか、私が主で看護する場合も病人自身がしっかりしているかで、 今回のように病人も介護している人もちょっと頼りないという状態は初めてで、 どちらも心配で、緊張が続きました。 輸血すると黄土色だった義父の顔色がぱぁっとピンク色に変わっていって、3日目には、 点滴も自分で抜くことはなくなりました。 便が真っ黒だったので、おそらく胃か腸で出血が起こっていると思われます。 明日まず胃カメラをして、原因を調べるようです。 病院にかけつけた時のこと。 義母は 「もう家にはかえれないわよね。91まで生きたんだもの。好きな事ばっかりやって きて、あの人の人生に悔いはないはずよ」 と言いました。家で倒れこんだ時にもうだめだと思ったそうです。 (多分そんな事はないと思いますが) 義母は本当に義父の事が大好きなのを私は知っているから、自分がショックを受けない ために言い聞かせているのだなって思いました。 「お父さんが死んだら、もう私の役目は終わりよ。どうなってもいいの。看護のために 生きてきたようなもんだもの(父は16回の入院)」 という母に 「お義母さんの人生はこれからですよ。一花も二花も咲かせてくださいよ!」 と言いました。 母は「ふふふ もういいわ」と笑いました。 義父に愛情を注ぎ続けて59年の義母です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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