西行 願はくは花の下にて春死なむ
和歌短歌をご紹介かたがた、自分でも温故知新のお稽古をしていますが、こと陽春と桜の名歌となると、あまりにもたくさんありすぎて、どこから手を着けていいものやら、ちょっと陽気なノイローゼ状態ざんすよ。現代のJ-POPでも引きもきらず桜の名曲が生まれていますが、そちらについては、モモンガ2006さんのブログをご覧ください Click here.西行(さいぎょう、1118-1190)願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月(もちづき)のころ山家集願うなら、桜の花のもとで春死のう。その如月の満月の頃。註私は花見が大好きで、子供が生まれるまでは毎年欠かさなかったぐらいだが、桜の花にはそうしたほのぼのとした春の楽しい雰囲気とともに、「滅び」と「死」、時には狂気や陰惨ささえ孕んだ不気味なイメージが付いてまわることも、まぎれもない事実である。それは、散り際が特に美しいという性格にもよるが、この名歌などによって“死の観念”が確乎として付与されたことも相俟っているだろう。ただ、この歌に即して言えば、不吉な感じはほとんどなく、誰もに訪れる死への達観と、桜の生命と一体化したかのような歓喜さえ漂っている。如月の望月:旧暦2月15日。今年でいえば、4月2日。西行:本名、佐藤義清(のりきよ)。「歌聖」といわれ、後世の詩歌への影響は絶大。若い頃は、鳥羽上皇院政下の北面の武士(天皇家の近衛兵)で、武勇を以って聞こえた。あの平清盛とも同い年の同僚で、親友だった。この友情は晩年まで続き、伊豆の流人だった挙兵前の源頼朝や、奥州平泉の藤原秀衡を尋ねたりしている。政治的な含みがあったのかも知れない。まだ読んでいないのだが、吉川英治の「新平家物語」には、この辺りのことも描かれていると聞く。そのうち、ぜひ読んでみたい。1140年、23歳の時、卒爾として(突然に)地位も妻子も捨てて出家し、真言宗の僧侶となり、現世(げんぜ)への執着に苦しみながらも、各地を漂泊して数々の名歌を詠んだ。お仕えした一条天皇の崩御で、世を儚(はかな)んだとも言われるが、詳細は不明。なお、経歴を見ても、決してなよなよした青白きインテリではなく、むしろマッチョな、「ボディガード」のケビン・コスナーみたいな、男の中の男だったともいわれる(笑)。マッチョ系の文人、アーネスト・ヘミングウェイとか、三島由紀夫とか、石原慎太郎みたいな感じだろうか。この歌に詠んだ(予言した?)通り、西行は健久元年(1190)2月16日に入寂した。奇しくもこれは、釈迦(ゴータマ・シッダールタ、紀元前566頃-前485頃)の涅槃(ニルヴァーナ)と同じ日であった。現在は、2月15日が西行忌とされている。