昔かたぎと今かたぎ
松岡大臣の自殺という衝撃的な事件について、ちょっとおちゃらけた書き方をしてしまったが、やはり心の底に、澱(おり)のように重いものが残った。松岡氏以前の現職大臣の自殺が、終戦時(62年前)の阿南陸軍大臣だったというつながりで、昨夜はとうとう「日本のいちばん長い日」を塵を払って引っ張り出してきて、全巻読破してしまった。だから、きょうはちょっと寝不足。(なお、この名著は、刊行時ノンフィクションという分野が未確立で、著作権意識も希薄だったこともあるのだろう、当時著名だった評論家・ジャーナリスト、大宅壮一氏の名義を借りて、「大宅壮一編」という形で出したらしいが、現在は、当時実際に執筆したノンフィクション作家の半藤一利氏著となっている。)読みながらひしひしと感じたことは、詰まるところ、古いマッチョな男たちの昔気質(かたぎ)の振る舞いだな~、ということである。松岡氏の父は、職業軍人だったそうである。そう言われてみれば、まさに、映画とかに出てくる軍人そのもののイメージだった。無口で、あれこれ説明しない。黙って俺について来い、男は黙ってサッポロビール、である。家へ帰れば概して不機嫌で、メシ、フロ、ネルの三語しか発しない、・・・というのはもちろん誇張があろうが、昔の男には確かにそういうところがあった。しくじった時は、自分の腹に収めて、釈明などしない。大きなしくじりで、進退窮まった時は、黙って消えて、酒でも呑む。老兵は死なず、ただ去り行くのみだ。消えることが叶わなければ、黙って死ぬ。・・という事態は、昔の人でもそうそうあったとは思われないが、ま、ものの喩えである。腹の話である。「週刊女性」最新号が伝える、明石家さんまと長渕剛のトーク番組収録本番中の大ゲンカ・絶交騒動は、傍目で見ている分にはまことに面白い。さんまの番組に出た長渕が、最初は和気藹々としゃべっていたが、何が気に障ったのか突然ブチ切れ、ケンカ腰の応酬となった。さんまも決して気が弱い方じゃない。「なんで俺の番組に来たんや」、「なんで呼んだんだ」という売り言葉に買い言葉になり、長渕が席を立ち、周りは大童(おおわらわ)だったという。結局、トークの使える部分のパッチワークで編集し、オンエアは支離滅裂の竜頭蛇尾だったという。さもありなん、と思う。この二人は水と油だ。さんまは、どこでもどの時代でも、すいすい適応できるお調子者の典型だろう。もちろん馬鹿じゃない、・・・どころか、ものすごい怜悧な頭脳を持っていることは、テレビを見ていれば明らかだ。たぶん芸能界以外でも、組織のトップは無理としても、そこそこ出世できるタイプだろう。こういう人は、軽くエゴイストが入っているのは常である。人の話なんか、よほど面白くなければ真剣に聞かない。自分の頭の中が一番面白いからである。これは、ひとつの持ち味であって、欠点とは言い切れない。また、芸人としては、案外伝統的なタイプとも言える。一方、長渕は、伝統的な男のイメージ、アイデンティティ、それもかなり無頼派というか、任侠の徒の皆さんのような物腰と精神の構えを持っている。少し破滅型も入っている。一言で言って、コワイ。あんまり実生活では、お近づきになりたくないタイプだ。これで音楽的才能がなければ、間違いなくある方面の社会にのみ適応できるようなタイプである。自分や他人の言葉や態度に対する姿勢も厳しい、重い感受性を備えている。思い込んだら命がけという感じである。したがって、怒り出すと怖い。ブチ切れる。何をしでかすか分からない。・・・とはいっても、年を取ってくれば、自然と角が取れて丸くなってくるのが普通だけどね。僕の周囲の友人たちを見ても、若いころは硬派で近寄りがたかった奴もずいぶん丸くなって、今や“宴会部長”になったりしている。そこがアーティストだと、そういう方向の成熟はしづらいのかも知れない。一般社会の常識から言えば、100%長渕の方に非がある。が、芸能界という、実像と虚像の虚実皮膜の上に成り立つ、広い意味のアートの世界では、何とも判定しかねるところである。僕は現在40代終盤だが、僕らの世代や、ちょっとお兄ちゃんのさんまや長渕の世代より上には、確かに昔かたぎの、無口な男が多かったような気がする。僕自身は、しゃべりの才能の差は天と地としても、人間のタイプとしてはさんまに近かった。片田舎の、僕らの世代としては、アルピナ(突然変異)に近い少年だった。だから、今回のさんまと長渕の顛末(てんまつ)のようなことはたびたび経験しており、そうなってしまう阿吽(あうん)の呼吸みたいなものは、痛いほど分かるのだ。口から先に生まれ、けっこう生意気だったので、人によってはけっこうカチンとくるようなことを平気で口にしているのだろう。・・・三つ子の魂百まで。このブログでもけっこうそういうことをやっているらしく、時々感情的な反発を食らっている。最近はかなり嫌気が差してきた。事実今でも、酒など飲んで言いたい放題しゃべっていると、急に相手の顔がこわばるのを感じる時がある。さすがにこの年で手が出るとか喚き出すということはないが・・・。しまった!と思って慌てて話題を変えるのだが、しばらく空気は凍りついたままだ。こういう空気の原状回復がきわめて困難であることは、皆さんも経験があるだろう。その内容についても記憶しており、書けばけっこう面白いと思うのだが、その当人がこのブログをよんでいる可能性が低くなく、詳細は伏せさせていただく。ただ、たしかにギリギリのギャグだった。その友人の初恋の女性に関することだった。テレビのバラエティ番組ではナイスなぎりぎり内角低め一杯のクセ球でも、一般社会では“悠々アウト”の場合も多いから、要注意である。長渕の場合は、テレビであるにもかかわらず、まさにカチンときてブチ切れたのだろう。これに似て、口下手で口より先に手が出る昔の少年たちにぶん殴られて、目の周りに青アザを作ることなどは日常茶飯事だった。高いところから飛び掛かられて、腕を骨折したこともある。しばらくギブスをはめる騒ぎで、けっこう大変だったと思う。今なら「いじめ」ってことで大騒ぎになりそうだが、昔はそんなこと夢にも思わなかった。子供ながらに、子供同士のケンカであって、やられた方がドジなんだと思っていた。周囲も親も、「子供のケンカに大人が口を出すな」という暗黙の不文律というか美学があったせいか、さほど騒ぎ立てることはなかった。・・・まあ、これがいじめだったとしても、現在伝えられるいじめの陰湿な様相と違って、昔はカラっとしてたからね。決着をつけるのは、タイマンの「相撲」だったりして!!・・・田舎だったせいもあるが、のんびり牧歌的な時代だったんだね~。ヒョロっとしていたが、上背はあったから、正々堂々と相撲に持ち込めば、勝機はあった。周りは「やれやれ~!」とはやし立てて大ハシャギ、その時ですら楽しかったな~という記憶がある。もちろん、今思い出すと、さらに楽しい。そうこうしてるうちに、近所の浅野というガキ大将に、最初はジャブ的に軽くいじめられてたのだが、そのうち知的実力を認められてか(?)、そのブレイン兼No.2格に収まり、理科系知識のご進講を毎日やってたように思う。だいたい子供が何人か集まれば、「ひょっこりひょうたん島」の「ハカセ」とか、「サンダーバード」の「ブレインズ」みたいなブレイン格が一人いるのが普通なのかなと思ってたし、そういうキャラクターがカッコイイと思ってたので、事実そういうポジションで僕はご満悦だった。・・・なんだかんだ言って、けっこう世渡りは上手く、如才ない子供だった?しばらく会ってないが、浅野は今どうしてるかな~。市内には住んでるらしいんだが。むしろその、ジーンズの似合う美人の姪っ子さんが近所に住んでて、ボルボのワゴンに大型犬を乗せて颯爽と走っているのをよく見かける。話がそれたというか、そもそもこの文章に筋らしい筋はないというか、まあそんなわけで、昔の少年は単純明快で、口下手で、手が早かった。・・・身の上話をするつもりもなかったのだが、なんか筆が滑ってしまった要するに、そういう昔の男の子のメンタリティがそのまま大人になって、攻撃性というか破壊衝動が、ある時自分自身に向くと、こういう自殺、自刃というような悲惨な結果を引き起こすんだな~、と思った次第である。・・・ってことざんす。