カテゴリ:独断と偏見に満ちた映画評
若い男が白昼、駅構内で8人もの人をナイフで殺傷。
そして数日後には、十代の少年が男性を岡山駅のホームに突き落として殺害。 「ムカついていた。相手は誰でもよかった」という少年の言葉に、 怒りよりも戦慄を覚えたのは、このモイラだけではないかと思います。 「誰でもよかった」‥‥この言葉はモイラの脳裏に、木下恵介監督作品を思い起こさせました。 「衝動殺人 息子よ」('79年 松竹=TBS)です。 昭和40年代、下町で小さな鉄工所を経営する周三(若山富三郎)は 跡取りで近々嫁を迎えるはずだった息子(田中健)を、通り魔の少年に殺された。 暴力団のパシリだった通り魔曰く、「相手は誰でもよかった」‥‥ しかも裁判所が通り魔に下した判決は、一人息子を突然奪われた周三夫妻からすれば、 恐ろしく軽いものだった上に、当時は犯罪被害者への補償制度も何もなかった。 周三は息子を理不尽に奪われた深い哀しみと恨み、苦悩の果てに、 自分と同じような犯罪被害者を救済する制度を作る運動を、まったくの手探りで歩き始めるのだった‥‥ ある日突然、愛する人を理不尽に殺され、幸せな生活が一転してしまう‥‥ モイラは幸いまだ経験したことがありませんが、これほどの地獄はないでしょう。 その地獄の中でもがきながらも、自分と同じ境遇の人たちを訪ね歩く初老の男の後ろ姿が、 なんかひどく悲しく、それなのにすがすがしく、神々しくて、涙が止まりませんでした。 インターネットなんてものがない時代、新聞記者の言葉や記事を頼りに、 本当にまったくの手探りで、工場を売却したお金で、 雨の日も雪の日も、被害者ひとりひとりを訪ね歩く周三‥‥ その信念にマスコミも動き出し、街頭署名運動が始まり、 犯罪被害者補償制度への扉が、徐々にゆっくりと開くのです。 一人の人間の執念にも似た信念と正義への渇望が、やがて国をも動かす‥‥ と、書くと、なんか社会派映画みたいですが、 そこは木下マジック、声高に正義を叫ぶガチガチの社会派に傾きがちな作品を、上質のホームドラマに仕立てています。 いかにも町工場の頑固親父といった富さんは、ハマりすぎて言うことなし。 これが映画デビュー作となった通り魔役の大地康雄もハマってました。 でも一番すごかったのが、喧嘩の仲裁に入った夫を殺された未亡人役の吉永小百合。 今にもつぶれそうなあばら家で、汚れた顔と服の幼い男の子2人を抱え、 ほつれ髪の着たきり雀、絶望と貧困のあまり途方にくれた目をしていました。 モイラ最初、吉永小百合だってわからなかった。それくらい貧乏くささと果てしない哀しみがにじみ出ていましたね。やっぱ彼女は名女優です。 この映画の後押しのおかげなのか、1981年に犯罪被害者補償制度が確立しました。 ★名匠・木下恵介監督の世界★ にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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