カテゴリ:嗚呼なつかしのテレビ番組♪
'66年に日テレ系でオンエアされて国民的人気を博し、
2010年の現在もオンエア中のお笑い番組の老舗といえば‥‥ モイラが笑点と出会ったのは、小学4,5年生の時。 遊びに行った親戚宅で何気なく見始め、後半の大喜利に爆笑しました。 その当時の大喜利のメンバーには、 三遊亭円窓、三遊亭小円遊がいて、司会は三波伸介(彼は三代目司会者で、初代司会者は立川談志)。 現司会者の桂歌丸と小円遊のバトルは お腹を抱えて笑える反面、結構凄まじいものがありました。 座布団運びは、「007は二度死ぬ」にチョイ役で出ていた松崎真でした。 '80年10月に小円遊が急死。 '82年12月には、司会の三波伸介がこれまた自宅で急死し(折りしもジョン・レノンと命日が同じ!) 「笑点」は一時期、「呪われた番組」とまで囁かれたそうですが、 なんのなんの、それから30年近くも 司会者や大喜利メンバーがチェンジしながらも、しぶとく続いているのです。 後半の大喜利もさることながら、 前半の名人芸も、落語、漫才、曲芸、漫談などヴァラエティに富み、 「なんでこんな芸人出すの?」みたいな、お粗末なものもありましたが、 目を見張るほどすごい芸人さんや、思わず姿勢を正して聞き入るような噺家さんが 数多く出演していました。 モイラが中学生になってから、古典落語の全集を読みあさるようになったのも、 ひとえに「笑点」の影響ですもん。 「寿限無」の長台詞を全部暗記したくらい、一時期落語にハマりこんでいました。 でも一度、「笑点」にものすごくがっかりさせられたことがあります。 2001年秋、三代目古今亭志ん朝の追悼番組(??)の時。 新聞のTV欄に、「追悼・古今亭志ん朝」と書いてあったもんだから、 志ん朝の気品のある芸風が大好きだったモイラは、 「うわ、さすが『笑点』! 30分の放送枠で追悼番組を組むんだ!」 そう早合点し、チャンネルを合わせたはいいけど。 5時40分を過ぎても、志ん朝の「し」の字も出てこないわ、 そのうち恒例の大喜利が始まるわ‥‥ やっと在りし日の志ん朝がテレビ画面に映ったかと思ったら、 落語ではなく、かっぽれ。しかも志ん朝の姿にダブって、スポンサーのでかい広告と 「笑点 来週もお楽しみに!」という、人をバカにしたようなタイトル。 志ん朝が画面に写ったのは、わずか10秒ほど‥‥(~_~;) 「ふざけるなああああ!!」と、日テレに抗議の電話を入れたくなりました。 事実この時、志ん朝の公式HP掲示板には、「笑点」への批難が殺到していました。 今も月に二度ほど見ている「笑点」ですが、 春風亭昇太の独身自虐ネタには、笑っていいのやら‥‥なんか気の毒な気もします。 実はこの「笑点」、'66年(昭和41年)のオンエア当初から、カラー放送だそうです。 その当時、カラーテレビなんてものは庶民には高嶺の花で、 99パーセントの家庭は白黒テレビだったのに‥‥ 製作側の英断ですな♪ ★笑点グッズあれこれ★ にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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