【粗筋】
新刀を手に入れたお侍、斬れ味を確かめたいがそこらの人を斬る訳にも行かず、橋の所にたむろしている乞食で試そうと、友達をさそって辻斬りを敢行。えいッと斬り付けて、逃げ出した。友達が追いついて、「どうだ斬れたか」と尋ねると、
「うむ。手応えは十分だ。橋桁まで斬り付けた」
「じゃあ、行って見て来よう」
二人で橋まで戻ると、寝ころんでいた乞食がむくっと起き上がり、
「また叩きにきやがったか」
【成立】
安永2(1773)年『聞上手』二篇の「新躬」。同年『今歳花時』の「ためしもの」ではその場で死骸を確かめようとしてどなられる。安永4(1775)年『一のもり』の「新刀」、文化5(1808)年、十返舎一九編『江戸前噺鰻』の「ためしもの」など類話が多い。桂米朝が一席に扱っていた。「どいつや、毎晩毎晩どつきに来るんは」という台詞が上方らしくていいね。
田舎侍二人が交代で毎晩出掛けて行き、「お前らだな、毎晩俺を殴りに来る奴は」という落ちで一席に演じられていた。上方では今でも一席に演じられるが、東京では「首提灯」「胴取り」などの枕に用いられている。
【蘊蓄】
慶安4(1651)年、天下泰平となった時代に武士が用無し扱いをされるようになり、浪人が増えていた。これを町道場主である由井正雪が集め、幕府に対する反乱を起こそうとしたが、未遂に終わる。この年、4代将軍・家綱が10歳で即位し、浪人が出ないようにする対策もなされるようになった一方、武士の腕の見せ所がなくなったため、辻斬りが流行し始める。