【粗筋】
ちきり伊勢屋という質屋の主人伝次郎が易の名人白井左近にみてもらうと、「あなたは来年2月15日九刻に死ぬ」といわれた。先代がむごいことをした報いだというので、伝次郎は財産を使って人に施してやり、自分もこの世の名残りに遊び暮らす。2月15日は前夜からお通夜と称して大騒ぎ、いよいよその時刻になったが死ねない。
一文無しになった伝次郎、死相を占ったために所払いになった白井左近に会った。もう一度人相を見ると、人助けをして命まで救ったことで死相が消え、80歳以上まで生きる長寿の相になっているという。伝次郎が左近にいわれた方角に向かうと、幼友達の伊之さんに会い、二人で駕籠かきを始めた。そんな時昔贔屓にしていた幇間の一八を乗せ、こさえてやった羽織と着物を借りると、近くの質屋に持っていく。ここの内儀と娘は、店を火事で失って心中をするところを伝次郎に 300両を恵まれて助かった身であった。伝次郎は勧められるままにここの婿となり、ちきり伊勢屋を復興するという……積善の家に余慶あり……「ちきり伊勢屋」でございます。
【成立】
安永8(1779)年『壽々葉羅井』の「人相見」は、明日の八つに死ぬと言われ、家財道具を売り払って時計を買う。刻限が近付くと我慢が出来ずに逃げ出す。享和2(1802)年十返事舎一九の『臍繰金』にある「人相」は、易者に死を宣告されて大騒ぎをするという内容で、死ぬ刻限が近付いてくると、いたたまれなくなって行方をくらますという落ち。文化11(1814)年根岸守信の随筆『耳袋』巻一の「相学奇談の事」も、自分の通夜をする辺りまでがよく似ている。
小さん系の噺であるが、演じられなくなり、明治26(1893)年に『百花園』に60ページ以上に渡って掲載された2代目の速記から、三遊亭圓生(6)が掘り起こした。「圓生百席」では、枕で左近の易についての説明と逸話を30分にわたって紹介しているが、この枕だけを独立させて「白井左近」という題で演じられることもある。軽く流しても1時間、枕を付けてしっかり演じると2時間も掛かる長い噺なので、前後二部に分けて演じることもある。しかしはっきりとした切れ場にはならないし、後編は後日という演出もおかしいので、ここでは一席に扱った。
翁家さん馬(5)の「天眼鏡」と題した速記本(1890年、全7席)では、死に損なって駕籠屋になった伝次郎が、馴染みの幇間から着物をもらって質入れに行くと、この質屋の養女が首つりをしそうになったのを助けた娘で、恩義を感じて密かに支援するが、義父に知られて盗人に取られたと嘘を言い、帳面から伝次郎が捕縛される。根岸肥前守が裁くが、娘が名乗り出て真相が明らかになる。伝次郎を養子に迎えることが出来ないので、千両で手打ちとなり、伝次郎はこれを元に商売を始め、元の呉服屋を復興して繁盛する。
【一言】
長いはなしですが、お葬式の所まで来れば楽です。(三遊亭圓生(6))
【蘊蓄】
「ちきり」は、質屋や両替商の屋号に使われることが多い。数字の五を図案化したデザイン(Xの上下をふさぐ、▽△がくっついた形。そごうのロゴの丸の中の部分)が、「ちきり締め」という真ん中がくびれた木製の鎹(かすがい=くさび)に似ているで、俗に「ちきり」と呼ばれたもの。「ちぎり(竿秤)」の意も掛けているという。