【粗筋】
堀之内のお祖師様参拝の帰り、新宿のなじみの引手茶屋に上がった助さん・又さん・梅さんの三人。助さんは行きに見初めた、顔に鼻のある、目のぱっちりした、受け唇で眉の濃い、目の際に黒子のある女郎を探索するよう注文。モンタージュ作成をするまでもなく、黒子が決め手となって豊倉のお山らしいということになった。ところがこのお山を見るとやたらに顔の長い女だったので、回しがあると言うのを幸い、追い出してしまった。すると、廊下で「本命」を発見、「逃がすな、生け捕れ、あっちへ逃げたぞ」と大騒ぎ。やっと捕まえると、4日前に見世に出たばかりのお熊という女だった。あまりいい女だから、酒なんぞ飲んでいる場合じゃない。大急ぎでお床入り。
「お前を見た途端にブルブルッと震えたんだ。これから毎日通うからよろしくお頼み申します。……おい、何とか言っておくれ」
「よさねえか、このフト(人)は、ヂヤマ(父親)が年貢の金に困って売られたが、イド(江戸)ってェ所は気休めばかりだノンシ。ウラ(私)もねぶたくてなんねから、ええ加減にねぶったらよいだノンシ」
「すごい訛りだね……お前の国はどこだい」
「越後の小千谷だがノンシ」
「小千谷……だから体が縮み上がったんだ」
【成立】
「新宿三人遊び」とも。大阪では「蜆売り」が同じ題名で呼ばれることも。豊倉とは新宿を代表する大見世。
越後小千谷の名産「小千谷ちぢみ」を仕込んだ洒落。ひどい女を見てする気がなくなった、つまりあそこが縮んだというバレ掛かった落ちがあったらしい。
【蘊蓄】
お祖師様は現在の杉並区堀の内1丁目。元は真言宗だが、元和年間(1615~23)、開山の日円上人が改宗して日蓮宗になった。元禄年間には住職の女犯が発覚して天台宗に改宗されたが、再び日蓮宗に戻る。明和年間(1764~71)頃に厄除けで人気となり、参詣が盛んになり、『江戸名所図絵』には「群参稲麻の如し」と紹介されている。