【粗筋】
江戸っ子が旅の途中でひどい酒を飲まされる。迎え酒にいい酒を飲みたいと、造り酒屋を見つけて、1升ばかり売ってほしいと交渉すると、1升や2升のはした酒は売らないという。どのくらいなら売るかと尋ねると、馬に1駄か舟で1艘だという。1駄は4斗樽が2丁、1艘はそれが5、60丁だというので、兄貴分が怒って、
「人を馬鹿にするのもいい加減にしろ、このうんつくのどんつくめ」
と怒鳴った。酒屋の親父が戸を閉め、薪ざっぽうを持った男たちが2人を囲み、「うんつくのどんつく」とはどういう意味か説明しろとせまる。
兄貴分は、後ろに貼ってある長者番付に目を止め、これは江戸では「うんつく番付」というのだと、説明を始めた。
西の横綱・鴻池の先祖は酒屋をしていたが、酒造りの男に悪い奴がいて、首になった腹いせに灰を酒樽に放り込んでしまった。ところが運は不思議なもので、灰で淀みが沈み、清酒が出来た。これを売り出したところ、運に運がついて「大運つくのど運つく」になったのだ。一方東の横綱・三井の先祖は六部として諸国を回っていて、止まった荒れ寺の井戸から火の玉が三つ出るのを見た。調べると千両箱が三つ出たので、これをもとに商売を始めたると、運に運がついて大長者になったのだ。
そこで、お前の店も今に長者になるという「運つくのど運つく」とほめたのだと言うと、酒屋の親父は喜んで、ただで酒を振る舞った上、造り酒屋で酒を買いたい時は利き酒をしたいと言えばいくらでも飲ませるとまで教えてくれた。
店を出て、弟分が兄貴の物知りに感心すると、あれは寄席で噺家が言っていたことででたらめだ、本当は「うんつくのどうんつく」は馬鹿野郎のことだと答える。そこへ先程の酒屋の親父が追ってきた。さてはばれたのかと思いきや、
「お前様がたをほめるのを忘れてただ。江戸へ戻ったら立派なウンツクになりなせえよ」
「俺たちゃァうんつくなんぞ大嫌ェだ」
「えっ、嫌えか……生まれついての貧乏人はしょうがねえ」
【成立】
安永5(1776)年『鳥の町』の「金物見世」。田舎から江戸見物に来て、金物屋が蝋燭の芯を切る道具を「馬の毛抜き」と思ったが、通り掛かった男に「とうへんぼくめ」と言われる。聞くと「とうへんぼくというのは田舎のお大尽だ」という江戸の流行言葉だと教えられる。「ううん、俺もよほどのとうへんぼくに見えるらしい」
旅人のこじつけによれば「うんつく」は「運が尽く」の意味だというのであるが、現在では本当に「運が付く」の意味に使う例も現れ、この意味も認められるようになってしまった
「犬も歩けば棒にあたる」を「当たる」はいいことだと取って「出歩かなければ幸運には恵まれない」という、「果報は寝て待て」の逆の意味に取り違えた例が認められているのと同じである。「馬子にも衣装」を「孫にも衣装」と思って「もともと可愛い上に着物もいい」という意味で使った人がいたが、これも認められていかも知れない。
「ど運つく」の「ど」は大阪でしか使わない言葉で、江戸の者が使うのはおかしい。「ど」は「ど阿呆」「どぶす」など悪い物を強調する接頭語で、「ど根性」も「ど根性が曲がっている」「ど根性を叩き直す」などの悪い方にしか使ってはならない言葉であったが、いい意味に誤用したテレビアニメの主題歌が出て、認められるようになりつつある。「ど真ん中」というのも野球から関東でも使うようになったが、耳障りな濁音で、東京言葉では「まん真ん中」を使ってほしい。宇野信夫が、芝居を見ていたら、江戸者のはずのお富さんが「ど助平」と言ったのでがっかりしたと書いているが、昭和の人しか分からなくなるのだろうか。
【蘊蓄】
清酒を造ったのは鴻池というのは勿論嘘。享保年間(1716~35)に灘の山邑太左衛門が発明し、「政宗」と名付けて売り出したのが、本当の元祖で、全国に普及したのは文化年間(1804~17)とされている。