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アメリカで仲良しになったKatiebooksさんが先日の日記に本業と副業について書いていらした。私もちょっと思うところあってこのテーマで日記を書くことにした。
ご職業は何ですか?と聞かれて去年までの私はちょっと答えられなかった。 なぜかならお金を稼ぐために結構あっちこっちに手を伸ばしていたせいでもある。 それにドイツでは学歴によって職業が限られてくる。アメリカや日本のように大学で経済や法律を勉強したけど、適当な仕事がないから、タクシーの運ちゃんをしてお金を稼ぐ、なんてことはドイツでは殆どありえない。 従って大学で英米文学を勉強して、教職をとっても、ドイツでは教えられない。 ドイツの大学では2科目から3科目専攻して学校の先生(5年生以上)は最低2科目教えられなければならない。私が知る限り、大学では体育と化学、音楽と英語など何をとっても自由だ。学校の先生も英語と宗教学、体育と化学など、かけ離れた2科目を教える先生はざらにいる。 で、私の場合、田舎に住んでいなければ、日本語と英語を教えることも出来たが、M市は私が住んでいた頃は日本語はグラマースクールの選択科目に入っていなかった。M市では去年から日本語のクラスが導入されたと言うニュースを新聞で読んだ。 M市に住み始めた当時はドイツ語は今ひとつ、英語は今よりずっと流暢であった。 ドイツ人の夫と神戸に長く住んでいたので私の生活語は長い間英語であったから。 子供たちは英国系の学校に行っていて、家族の共通語は英語だった。 私はドイツ語を何とか英語のレベルまで持っていきたい、と頑張った。 日本人の中には外国に住みさえすればその国の言葉がきちんと話せるようになる、と誤解している人が多いみたいだが、これは間違いである(と思う)。20才過ぎてから何語であろうと習得(上級レベル-本や新聞が読めて、教養ある人とおしゃべり以上のディスカッションができる-)するのはかなりの努力を要する。 今私は確かにドイツ語が英語のレベルになったかもしれない、 でも、でも、それは私の英語のレベルが格段に下がったからドイツ語が英語のレベルと同じになっただけである(涙)。 最初の頃私は職業を聞かれるたびに本当はグラマースクールの英語の教師です。 でも今はxxxxをしています、のように答えていた。このxxxxは通訳、翻訳、コーディネーター、日本語講師、法律事務所勤務、日系企業勤務などであった。 なぜグラマースクールの英語教師というと、「わたしゃあー、大学を出ているんだよ、」ということを暗にほのめかさないとドイツ人にバカにされるからである。 定年まで勤めるつもりで引越しまでした(M市から400キロ)のに、この日系企業は撤退してしまい、私は解雇されてしまった。 それで私は友人の紹介でこのアンティークの世界に入ったのである。 私は昔から絵や美術品、骨董、ガラス、焼き物が大好きでコレクターでもあった。 また美術品を見るのが趣味であったから、世界のどこへ行っても美術館、アートギャラリー、骨董屋を覗いた。 私はもともと定年(60才)になったら、好きなことを仕事にしようと思っていた。今ではこの仕事を早く始めてよかった、と思っている。骨董は好きだから、面白くてやめられない。やればやるほど面白い。まだ4年目にしかならないが、私は日本人で誰よりもドイツ磁器(マイセン、KPM、ニュンフェンブルク、ローゼンタールなど)の相場を知っている。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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