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写真の中から楽しそうな笑い声がはじけてきそうです。
真ん中の女の子にご注目ください。 この日記を読んでいる人にはすぐにわかりますね。 そう、これは「眞弓さん」の33年前、まだ19才か20才になったばかり、 場所は定かではないのですが、多分マドリードのドン・キホーテの像がある”Plaza de Espana”(そんなところあったっけ?)ではないでしょうか? したのDaveちゃんのコメント、ありがとう。 お世辞を言っただけですよ。きっと彼は心の中でこう思ったのではないでしょうか? Binchanのこの変わりようは何だ? (写真右が33年前の私、Binchanです) ぼくの眞弓ちゃんは昔も今もちっとも変わらなくてかわいい、と。 この20才のプロポーションをいまだに維持しているのは驚きですね。 この夏眞弓さんを訪問した時に彼女の現地のお友達のKatiebooksとランチをごいっしょした。Katieさんは本を書く人らしく、開口一番、私にこう聞いたのである。 「眞弓さん」のどういうところが好きでこんなに長く友情が続いたんですか? 1972年の夏、私はJ大学の主催したスペイン語夏期講習(今でいう語学短期留学)のヨーロッパ旅行に参加した。その時にスペイン語科の学生だった眞弓さんといっしょにスペイン語を勉強し(クラスはテストで二つに分けられ、私はスペイン語専攻でなくて上級に入った唯一の人だった- 許して!、いやみな昔の自慢話)、そのあと1ヶ月以上(旅行は6月末~9月初まで)ヨーロッパを旅行して回った。 いっしょに(20人ぐらいの団体)名所旧跡を見たり、芸術作品を鑑賞したのはもちろんだが、今でも思い出すのは夜な夜なディスコテックに繰り出し、Cuba Libreを飲みながら、踊り狂ったこと、登山電車に年令をごまかして(16才に?!!)半額で乗ったりとか、ヴェネツィア映画祭のプレミアに紛れ込み、招待客ばかりの中に入れてもらったとかそんなことばかりである。 日本に帰ってきてから翌年に私はドイツに行ったのだが、学生であった眞弓さんとの交流は途切れることなくずうっと続いた。私の状況も激変、眞弓さんも激変(中略)、それでも友情はずうっと続く、、、 これはどうしてだろうか? Katieさんのインタビューに私はこう答えたように記憶している。 彼女はいつも明るい。彼女の人生が必ずしも順風満帆でなかった時ですら、彼女とはいつも笑いあっていた。私は自分を悲劇の主人公にして泣く人より、自分の人生をコメディにしてしまえる人のほうが断然好きである。日本女性でこの資質を持つ人は少ない。私の夫も彼女が大好きであり、日本人には珍しい(女性には特に!)"Sense of Humor"があると絶賛していた。 "Sense of Humor"とは自分を客観的に見て笑える能力のことだと私は思う。 ************** いつか彼女に日記に書いてあった。 「金銭の貸し借り」をしないことが友情の秘訣だと。 それも一つの条件には違いない。でもそれだけではない。 眞弓さんは花に例えたら「ひまわり」のような人だと思う。 彼女がいると周りが明るくなり、はじけるような笑い声が絶えない。 でも彼女の人生がいつも順風満帆であった訳ではない。 若くしてリューマチの発病があった、離婚もあった、シングルマザーの子育てもあった。それでも彼女とはいつも笑っていた。その笑える能力を私はすばらしいと思う。 彼女は人が悪意なく言ったことを決して悪く取らない。 また人の悪口、陰口、告げ口をしない。 これは私のモットーでもある。 また彼女は「気配り」の人でもある。 「人に気を使わせないようにする」のも気配りだと思う。 ****** 昔を思い出しながら、1時間ぐらい日記の続きを書いていたら、電話がなった。急ぎの書類をメールするから読んで欲しいと。最新のコンピュータで送ったから、私の古いコンピュータを1行ごとに左右に画面を動かさないと読めない。画面を小さくしようと思っていろいろやっているうちに「日記の続き」がなくなってしまった。再度書いたけど同じものは書けない。書き上げたのはなんか気が抜けたビールみたいになってしまった。ごめんね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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