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ドイツでの独り言

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2005.10.18
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1066年10月14日
イギリスの正当な王位継承者Haroldとフランス人Normandy公Williamはここで戦う。写真は小高い丘の上のHaroldの軍から見た風景である。


Hastings



Witan会議(Witanは英語古語で会議とかMeetingの意味、法王選出の会議コンクラーベみたいなものか?)でHaroldが選ばれた。Williamは面白かろう筈がない。
そこで彼はHaroldの窮地を救った時に取り付けた言質をHaroldに思い出させた。
Haroldの答えはWitanの決定を尊重する、というものであった。
このあと9ヶ月間一族郎党を巻き込んでノルマンディ候William(フランス人)とHarold of Wessex(イギリス人)、すなわちWilliamの娘婿は王位をめぐって争います。

Haroldの弟TostigはノルウェーのHarald Hardradaと組んで兄のHaroldを裏切ります。
Yorkshireを制圧したものの、9月25日の暑い夏の日、北国から来たバイキングはあまりの暑さに鎧を脱ぎ、戦いの装備を解いてリラックスしていたところをHaroldに急襲され、
TostigとHaraldはあっけなく戦死します。ノルウェーから来た300隻のうち、無事ノルウェーに帰れたのはたったの25隻という壊滅的敗北でした。

一方HaroldがKing Hardradaと戦っている間Williamはドイツ、デンマーク、イタリアからの支持を取り付け、法王の支持も取り付けました。この交渉にWilliamはひと夏かけました。
8月には700隻が戦い準備完了していました。しかしWilliamは風向きが自分に有利に変わるようひたすら待ちました。こうしてWilliamは8月27日夜ノルマンディを出航しました。翌28日にPevensey港に到着、数マイル離れたHastingに要塞を築きます。

こうして1066年10月14日Hastingsで戦いの火蓋が落とされました。
結果だけを簡単に言うとこの戦はWilliamの作戦勝ち、1066年10月14日はイギリスが外国人に最後に侵略、征服された日である。

いつか暇な時にこの征服王ウィリアムがもたらした影響について書いてみたい。
何しろこのフランス人王は英語が話せなかった。政治、法律、科学、文学はイギリスはこの時代フランス語だったのだ。
つまり英語は下々庶民の話し言葉であるに過ぎなかった。
フランス語統治は300年近くも続いた。









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最終更新日  2005.10.19 01:19:27
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