|
カテゴリ:艶紅の似合う女性に
私は 期待されると それに答えようと ベストを尽くしてしまう 到達点が高ければ高いほど 絶対そこに到達してやると思うし すごく伸びるし 結果もでる プレッシャーにも本番にも強い ただそれが相手の思惑で いいように使われるということに気が付いたり 私に対する評価が低ければ すべての関係を終わらせてしまう 悪い癖がある
私は勘が鋭くて 相手の思惑に気がついていても 自分に嘘をつき 言うべきことを避けて通る所があった それは 「いいこちゃん」に思われていたい というただの自己防衛だ 気がついていたが そこも目を瞑り、嘘をついていた
今まで 「さようなら」をしてきた友達は その人だけが悪いわけではなく 「何がOKで、何がNo」なのかを きちんと示すことが出来なかった 私にも責任がある これからはより良い人間関係を構築していく為にも 改善しないといけない
無意識の内に存在していた 「いい子に思われたい」 という気持ち この原因はなんだ? 心のそこで私は私を否定してるのか? いや、肯定的だ じゃあなんで? ただ日本という社会に適応できないというのは この辺のところなんだと思う
一例として 私は噂話が苦手 仕事は好き、でも 会社のこの手の話はすごい苦手 真剣に聞いているフリをして 腹のなかは全然裏腹だ でも、日本の会社はどこも この話で80パーセントを占めたようなもので おまけに自分がいないところで 何を言われているかわからないという 見えない恐怖が嫌い 日本人というだけで心の底で何か疑いを感じる 日本人アダルトの感情がどういう表現であるかは理解できても 心では理解できずにいる 多分これを口に出しても理解するであろう人口が少ないから 言わない、せこいが(笑) それでこれが 「いいこ」の私を作り出している一因だと思う こうやっとけば、当たり障りないだろうと そこに無理が生じる 言語レベルの問題なのか、風土の問題か。 一体どこに原因がある? わかっているが 「どうしようもない」 というところまで考えたので 少々捨て身でも 自分らしくいるしかないのかも知れない ただし、立ち向かうのも一人だ 私は日本という国で 言葉の不自由のなさと (日本人だから)異国人でないという意味では これぐらいの問題は仕方ないのかも知れない でも、やはり私には難しい
でも 誰かに依存して生きていくなんて面白くない 他力本願では面白くない だから京都を飛び出したんだから 一人で立ち向かうのはなかなかつらいが ここで男に依存したりするのは、絶対に否 どこまで一人でいればいいんだろうか、と考える どこまで強くなればいいんだ、と考える 強いが甘えられる女をみると かっこいいと思う 「私は依存して生きてきた」という女友達 「あほか」と思う(言う)が 彼女は彼女で何か違うもの得ているに違いない 何が正しいかなんでわからないし それを選ぶのは、私 とりあえず 「強いけど、甘えられる女」を目指そうか 東京って町は沢山の人がいて 面白いし、奥が深い どんなに辛くても、苦しくても 強い魅力を感じる だからこそ自分自身が乗り越えるべき問題も見えてくる 私は私を乗り越えるまでは帰らない
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[艶紅の似合う女性に] カテゴリの最新記事
|