あと一ヶ月で(尾崎を語る)♪
本日24日分のポエム更新はmind なすがままにlove 消えない星の輝き『お知らせ』しばらくネットお遊びは多忙なためお休みさせて頂きます。それでは愚談エッセイへ♪---あと一ヶ月で(尾崎を語る)♪----早いなぁ~去年もその前もクリスマス.イブがついこの頃だったような気がする去年のイブは最悪だった大嫌いな奴と性なる夜いや聖なる夜を過ごして。。。。そんなイブまで後一ヶ月クリスマスカードをネットのお友達に贈るようになってもう11年Windows 95にOSが変わってそれまで必死で覚えてたプログラミング用語がまったく意味と存在すら消え去って以後ネット依存症の日々を過ごしている仕事柄昔からPCは必須商品でまだカセットを差し込んで一人だけで楽しんでいた時代から見ると実にPCの普及と進化発展には驚かされている来年新しいOSが出るのだがアップグレード版でOSを新しく変えても今のXPに搭載されているCPUでは返って起動が遅くなりいろいろと不便な点が多く発生するらしいXP自体何度買え変えたことだろうか?もう携帯の進化には興味も無くなっている僕でもPCだけはたまらなく気になるものだまぁ~今のところ買える懐でもないししばらくXPのようにいろんなトラブルが収まるまで様子を見ることにしよう♪サブタイトルにクリスマスとは全然関係のない『尾崎を語る』はこの6~7年間何度かテーマとして挙げたことがあるもので何故今更と自分ながら思うのだが年末に近づくとふっと尾崎が頭を過ぎる習性がどうしてか僕にはある原点に戻ると表現するべきか今の自分が自分で認められる自分であるかを認識するような毎年の儀式のにも似たものになってしまった僕は中学生時代まったく学校の勉強をしなかったすべての科目の期末テストを名前だけ書いて白紙で出したことがあったしまた「今の自分にはまったく意味の無い問題を解く必要はない!」とだけ書いて先生を呆れさせたこともあったそんな僕でもあったが煙草をふかし明治の文豪や大正の文豪達の純分学を読みあさりまた様々な詩人の名言に心を動かされたりソクラテスやプラトン老子や荘子の思想宗教家ではない人間釈迦としていろんな仏典を読む日課であった丁度、僕が15歳の時に尾崎豊の『15の夜』『卒業』がラジオから流れていたレコードを買うお金がないのでFMのどの番組にもリクエストをしていたチャッカーズの『涙のリクエスト』も15歳の時である尾崎は僕の代弁者だった彼の詩はひねくれていた時代の僕の心の叫びを上手に詩や曲で表現していた15歳は僕にとって人生を大きく変えた第一のターニングポイントだった一年間告白出来ずに憧れていた初恋の人への募る想い温め過ぎて何度、ラブレターを深夜に書いたことだろうか?どれも言葉では表現出来ない初恋の想いそれを勇気をだして告白したのが15歳であり交際が始ったのが15歳であり初体験を経験したのも15歳であり初めての失恋も15歳であった告白した日が修学旅行を終えてバレーのクラスマッチの翌日初めて人の死ぬ瞬間を見たおばあちゃんの命日である6月8日であるそれから8にまつわる因縁がことごとく続いたもともと僕の好きな数字でソフトボールの背番号はキャッチャーをしていたにも関わらず8番を選んでいたし僕の数霊は8であり次の恋人の誕生日も11月8日であり第二のターニングポイントだった彼女の誕生日がクリスチャンの家族の一人娘だったが釈迦とおなじ4月8日で初めての中絶した日が8月8日で第三のターニングポイントであった初恋の人と比べられないほど同じ位に好きだった彼女との出会った日も11月8日で交際を始めたのも12月8日でありその愛しかった彼女に僕の思い込みと勘違いでさよならを告げてしまった日も9月の8日だった8にまつわる事はまだまだあるが『尾崎を語る』から全然それてしまったので話をもとに戻す尾崎の歌はどれも当時は共感していた時に好きな歌は『ダンスホール』で一人ギターで弾き語ってよく歌っていたものだ大人になっても未だに共感出来るのだが年々「これは少し違うな」と思う詩のフレーズや曲によっては全然考えが相反するものも出てきたそれは僕が変わってしまったのかある意味境涯が違うからなのか僕の書き続けている詩とは全然似ても似つかないしまた似ているような気もする今は尾崎の曲の中で一番好きなのは『Forget-me-not~わすれな草~』である彼の命日は4月の25日今年15回忌であった彼が死んだとき僕は同士が一人 星になったとどんなに嘆いたことか生きていれば40歳40歳の尾崎はどんな詩をどんな曲に乗せるだろうか尾崎は死んで尾崎豊となった気がするもし生きていたならば僕の代弁者として変わらずその思想を貫いただろうか僕の同士であり続けただろうか?『山田かまち』にしても叱りであるちなみに足立区千住河原町45-9にある『尾崎ハウス』を訪問した回数も8回であり同世代のアイドルだった峰岸徹もて遊ばれて自殺した愛知県一宮市出身の『岡田有希子』の誕生日も8月22日であり自殺した日は'86年4月8日であり僕の第二ターニングポイントの彼女の誕生日でありまたあえて書くが釈迦の誕生日でもある当時名古屋の熱田区に住んでいた僕は彼女の実家を単車で探しだし家の前に花がいっぱいに供えてあったのを鮮明に覚えている生きていればどんな素敵な熟女として活躍していただろうか彼女もそうだが一途な女性は素晴らしい存在であるのだが悲しき運命を辿ることが多いのを身を持って実感している僕は永遠に15歳のままで15歳の抱いた夢を実現させるがために惰性ながらも現在を生きている38歳のエロ親父の酒飲み酔いどれ気まぐれポエマーとしてずっとネットに繋がっているこれからもこれからもエロくて悪いかぁ!!!!!!!今夜もアダルト徘徊をかかさない僕でしたあぁ~すっきりした (-。- ) フゥー♪