|
カテゴリ:ひとりごと
テレビ朝日のスペシャルドラマ「弟」を見た。
これは石原慎太郎は弟であり昭和の大スター石原裕次郎の全貌を描いた小説をドラマ化したもの。 石原裕次郎の晩年といえば「太陽にほえろ」の渋い署長、石原軍団のボス、ハワイ豪遊といった明のイメージがあったのだが、こんなに病気で苦しんだ人だとは知らなかった。 長年にわたる病気との闘いは痛々しく見ていて辛いのだけれど、同時に兄弟、家族、部下の献身的な愛と、裕次郎のまわりへの気遣いが美しく描かれている。 まわりも本人も、当然、死を恐れ、悩み苦しんだけれども、死を十分覚悟するだけの時間があったし、努力もした。 僕は数年前に母を亡くしてから死というものを意識し、自分はどのように死んでいくのか?ということを、ときどき考えるようになったのだが、石原裕次郎の場合のように愛する人たちに囲まれ、長い時間をかけて愛を十分感じ合って、また、死を十分覚悟して死んでいく死に方は、ひとつの理想形だと思った。 僕の母の場合、まだ60代で元気に仕事もしてたのだが、何の前触れもなく、心筋梗塞で急死した。 母の場合、数分苦しんだだけで、比較的楽に死んだようだ。 石原裕次郎の死とはまったく対照的だが、考えれ見れば、やりたいことをやって、人生の下り坂を知らず、長い時間苦しまず、醜い部分を何一つ残さずに一瞬のうちに去っていったのだから、これもある意味で理想的な死に方かもしれない。 石原裕次郎も、僕の母の、若くして亡くなったので、まわりの悲しみは深いが、それぞれ違った意味で美しい。 それに比べて、近頃、戦争やテロ、変質者による殺人事件、北朝鮮の餓死・政治犯の処刑など、無残な死のニュースが多いが、本当に、やりきれない。 絶対に、自分はこんな死に方をしたくないし、愛する人に、こんな死に方をされたくない。 だけど、どんな死に方であれ、死の直前まで自分が主体的に判断し行動できる部分は残っているのではないかと思う。(母のように即死は難しいかもしれないが) これから先、少しずつ自分も年老いていくが、理想的な死に方とは何か?どうすれば、そんな死に方ができるか?も、人生のテーマ。 それによって普段の生活や健康の考え方も変わっていくように思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ひとりごと] カテゴリの最新記事
|