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テーマ:たわごと(26899)
カテゴリ:ビジネス成功法
前回の日記で、青色発光ダイオード裁判の和解金8億万円が高いか、安いか?というテーマを取り上げたところ、いろいろなコメントを頂き、考えさせられる事が多々あったので、もう少し突っ込んで書いてみようと思う。
もともと特許という制度は、産業の発展を促進させることが目的である。そして、産業の発展は、より良い社会を作ることが目的である。 従って、こういった目的を達成するため、どのように社会、発明家、企業関係者等の間で利益調整を行なうか?といった観点で、この結果の良し悪しを議論すべきだろう。 まず、どうすれば産業が発展し、豊かで望ましい社会になるか?を考える必要がある。 産業の発展のためには、以下のどちらを重視すべきか? (a)天才ひとりの成果 (b)組織的な共同作業による成果 僕は、後者だと思う。 産業が安定して発展するには、連続的に技術革新が起こる必要がある。 偶然に天才が出現することを待っていては、連続的に技術革新など起こりはしない。 だから、企業という商品開発を組織的に行なう基盤が必要であり、技術革新を起こすためのマネージメントが必要なのである。 では、企業が天才を雇い、個別に、自由に研究させれば良いのでは?といった考え方もあるだろう。 しかし、それでは人口の多いアメリカ、中国、インドが確率的に天才の数も多いだろうから、日本の勝ち目はない。 でも、まだ日本の経済の方が中国、インドより上。 それは、戦後、日本の製造企業が連続的に技術革新に成功し、経済を発展させたからであり、まだ、その貯金があるからだ。 では、何故、日本の自動車や家電メーカーなどの製造企業が国際社会のなかで成功したのか? それは、日本の製造企業の組織的な知識創造の技術・技能が優れていたからに他ない。 戦後の不確実な時代、日本の製造企業は、外部から必死に情報を収集し、組織内で広く情報共有し、組織的な共同作業により、新技術・新製品を生み出した。 知は共有するものであり、独り占めにするものではないという文化があった。 この文化は、日本の製造企業の中で暗黙のうちに成り立っていたのだが、その後、欧米企業が技術革新に行き詰まり、日本を見習い、研究したのである。 組織的知識創造は、もともと日本のお家芸であり、世界に誇るべきノウハウだったのだ。 それなのに、個人に頼った欧米流の古いやり方を見習う必要があるのだろうか? それでは、ゆとり教育と同じ結果になってしまうのではないか? この考え方については、野中郁次郎氏(一橋大学院教授)の知識創造企業という本に影響を受けているので、詳細は、この本を読でほしい。(残念ながら楽天BOOKSには無い。この内容についても今後、日記で取り上げていきたい) こうしたことから、日本の場合、組織的な共同作業による成果が生まれることを目指すべきであり、その考え方に整合する貢献度評価の仕組みが必要だ。 ひとり勝ちの評価は、組織的な共同作業の妨げになるので好ましくない。 今、問題なのは、企業内特許発明の貢献度評価の基準が確立されていないということ。 その評価の基準が欧米と違っても、それは国策の違いというだけ。 何でも欧米流のやり方を常識とすべきではないと思う。 誤解しないでほしいのは、僕も、これまでの日本の企業内発明は、発明者の貢献度評価・報酬が余りにも低く、今回の中村教授が起こした裁判の意義は大きいと考えていること。 ただ、その貢献度評価の基準は、国策であるから日本には日本のやり方があり、欧米に合わせる必要はないということ。 あと、企業と社員の対立のような意見が多いが、それは正確に言うと間違いだと思う。 対立しているのは、企業ではなく、企業を自分勝手に支配する一部の経営者、大株主。こいつらが悪いことばかりやっている。 本来、企業は皆のものなのだ。 ■イノベーションの本質 ( 著者: 野中郁次郎 / 勝見明 | 出版社: 日経BP社/日経BP出版センター ) 野中郁次郎氏は、日本のビジネスマンの知恵と、日本企業に宿る伝統の「型」が融合したところに「知識創造」の源泉があると指摘。 米国発のマネジメント手法ばかりに頼るなと訴える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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