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カテゴリ:心理学・カウンセリング
殆どの人は普段、「こうあるべき」と考える自分像を作り上げ、振舞っているのではないだろうか?
家族、友人、会社、社会から自分を高く評価してもらうよう、努力する。 また、そういう環境の中で構築された自分自身の価値感、信念に合うよう行動する。 男はこうあるべきとか、女はこうあるべきとか 課長は、こうあるべきとか、社長はこうあるべきとか、 自分は一流だから、こうあるべきとか、 しかし、心の奥底では、そうではない自分がいる。 「本当は、もっと休みたい」 「本当は、泣きたい」 「本当は、あいつといっしょに仕事はしたくない」 「本当は、部下に怒りたい」 「何故、いつも俺は失敗するんだ!」 こういう場合、葛藤が生じ、欲求不満が溜まり、ストレスが高まる。 そして胸の奥が締め付けられたり、後頭部に圧力を感じたり、体に異変を感じる。 こういう感覚を持っていても、何事もないような態度をとることは多い。 特に男性は小さい頃から弱音をはかないように教育されているので、「平気、平気」と気付かないふりをしたり、本当に気付かなかったりする。 しかし、こういう状態がずっと続くと、かえって感情に振り回され、無意識に人を責めしまったり、急にプッツン切れて発狂したり、冷静で適正な行動がとれない場合がある。 朝青龍のように、固まってしまって言葉が出なくなる場合もある。 いずれにしても人間関係を壊し、あとあと引きずってしまうようなことがあると、本人にとって悔やむことになるだろう。 そうならないよう自分自身で感情コントロールができるよう訓練する方法が「フォーカシング」である。 まず目を閉じて数分、腹式呼吸を続ける。 そして、胸の奥や腹の底など身体の中心部分にぼんやりと注意を向ける。 気がかりなことを思い出したとき、身体にどのような感覚が現れるか、その感覚に焦点をあて、観察する。 そして、言葉に表してみる。 僕の場合、人間関係で気まずいことがあると、胸の奥に何か黒い塊のようなものが現れ、胸をしめつけるような感覚がある。 気が進まないことをしなければならないときは、後ろから自分の後頭部に何かが当たり、ぐっと押されるような感覚がある。 こういう感覚を放って置くと仕事に集中できなかったり、先に述べたように誤った判断をしてしまう。 では、どうすれば良いか? このような感覚を言葉に表し、ぴたりとくる表現かどうか突合せ、合っていれば、その感覚に対して、やさしく受容的な態度で見守る。 「ねえ、そこにいるのわかっているよ」 「お前は悪くないよ」 といった具合に話しかけてみる。 そうすると、いつのまにか、その感覚が収まっていく。 収まらなくても、失敗ではない。 そういう感覚と感情を持っている自分に気付くことにより、冷静な判断ができるようになる。 フォーカシングはひとりでもできるが、誰かとペアを組んで、一方が聞き役(リスナー)になると、より効果がある。 何か瞑想のようなプロセスだが、仏教的な瞑想は邪念を捨て心を無にすることを目指すが、フォーカシングは気がかりなことを大切にして、その意味を感じ取って、癒しを得る方法なので、誰でもできる。 お気軽に癒しを得る瞑想法なのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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