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カテゴリ:ひとりごと
お役人のつける名前には、差別的な表現が多いように思う。
例えば、人格障害 精神医学において極端な考えや行いにより社会への適応を著しく脅かす人格的な状態を言うらしい。 しかし、人格の障害とは、いかがなものか? 人格とは、人間性そのもの。 これに障害があると言われた人は、それをどのように受け止めるのだろうか? 偏見はこわい。 身体障害者の場合、目や耳や手足が不自由なことは、見れば明らかなので、 困難を乗り越えて頑張っている姿に共感することが多いと思うが、 精神疾患を持った人の場合、問題行動に違和感や反感を持ってしまうためか、 人格そのものにレッテルを貼って、差別しがちなのではないか? しかし、統合失調症などは中脳辺縁系ニューロンのドーパミン過剰によって 生じるという仮説があるし、遺伝子の異常や事故が原因でなる可能性もある。 人格が問題ではなくてドーパミン過剰が問題なのである。 ドーパミン過剰により、自分の問題行動に悩やみ、差別を受け、苦しみながら 一生懸命生きている人は、立派ではないか? しかし、人格そのものを否定するような表現がオーソライズされていることは、 国が差別を認めているのではないかと疑ってしまう。 人格と障害は別物なんだから。 次に、気になったのは「後期高齢者医療制度」という言葉。 75歳以上を後期高齢者というらしいが、その言葉から、高齢者の中でも後期にあたる年齢の人を指しているように思われる。 しかし、まだまだ元気に生きようと考えている人が、後期高齢者といわれたら、「自分も、もうそろそろ終わりか」と何だか暗くなってしまわないか? こうした言葉をつけて、それがすんなり承認される役所の組織や人の鈍感さに呆れる。 「産む機械」発言をした柳澤伯夫議員も大蔵省出身。 こういうことに鈍感な人は、逆に「心の理論」が欠落しているのではないかと疑ってしまう。 心の理論とは、人が、他者の心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする機能のことである。 要は他人の気持ちを理解する能力。 心の理論を持っているか、どうか調べる検査に「サリーとアン課題」というのがある。 サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいました。 サリーはボールを、かごの中に入れて部屋を出て行きました。 サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移しました。 サリーが部屋に戻ってきました。 「サリーはボールを取り出そうと、最初にどこを探すでしょう?」と被験者に質問する。 正解は「かごの中」だが、心の理論の発達が遅れている場合は、「箱」と答える。 健常な子供の場合、4歳位で、上記の課題をクリアできる。 しかし、官僚は東大卒が多いと言うので、おそらく知能指数は高いのだろうが、ひよっとして上記の課題に答えられない人、多いのではないかと心配になってくる。 国民のために働く役人が、国民の気持ちを理解する能力がないのであれば、問題である。 是非、公務員試験に、心の理論を試す問題を出して欲しい。 しかし、心の理論が弱いからと言って、人格まで否定してはいけない。 心の理論を持ち、人が傷つくことを知って、やっているのであれば、たちが悪いが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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