ブラックフット族に学ぶ(未来社会の価値観 その2)
人間に進歩をもたらす最善の仕組みは資本主義しか考えられない。しかし資本主義は勝ち負けの世界。行き着くところはモノポリーなのだろうか?僅かな勝ち組と大多数の負け組で構成される社会は、とても暗い社会だ。希望はないのだろうか?求めることが全員同じであれば、そうかもしれない。しかし、人はそれぞれ求めることが違う。金銭的な富だけを求めるとは限らないのだ。面白い例があるので紹介しよう。マズローの調査によると、インディアンのブラックフット族の社会では、気前のよさを見せつけることが最大の美徳とされ、 財産を貯めこんだり、ひとりだけ知識を蓄えたりしても賞賛されることは無く、逆に、財産や知識を惜しみなく人々に分け与える人が名声と高い地位を得ることができる。ブラックフット族には「太陽踊り」という部族を挙げての祝祭があり、このとき人々に気前よく財産を分配したものが名誉を得る。彼らは借金をしてでも財産をため、太陽踊りの日にそれらを部族民に分配する。その事によって無一文になっても、彼はそれだけの財産を準備できた偉大な能力者であるとして尊敬され、それぞれの家に迎えられ、もてなされるので生活には困らない。名誉あるもの=富を持つもの、ではなく、名誉あるもの=部族に富をもたらすもの、という仕組みである。僕は、この事例に希望の光りを見た。それまで利己と利他は両立するのか?疑問を持っていたのだが、この事例は両立することを証明しているのである。マズローによれば、人は誰でも欲求を持っている。自分の欲求を満たそうとすることを利己と考れば、人間が利己的であることは、当たり前なのである。違うのは、欲求には複数の段階があり、人によって求める欲求の段階が異なる点である。もう一度、マズローの欲求段階説を整理すると、人間の欲求の段階は,生理的欲求,安全の欲求,親和の欲求,自我の欲求,自己実現の欲求の5つの段階がある。生理的欲求と安全の欲求は,人間が生きる上での衣食住等の根源的な欲求。親和の欲求とは,他人と関りたい,他者と同じようにしたいなどの集団帰属の欲求。自我の欲求とは,自分が集団から価値ある存在と認められ,尊敬されることを求める認知欲求。自己実現の欲求とは,自分の能力,可能性を発揮し,創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求。 このブラックフット族の事例から、評価の制度さえ変えれば、名誉欲という自我の欲求段階でも利己と利他は両立することになる。自己実現の段階になれば、評価の制度など無くとも利己と利他は両立することになる。利他的になることは、そんなに難しいことではないのである。お金持ちが高級品を買いあさるのは、他人から高貴な人と思われたい、セレブと思われたい、という自己顕示欲の表れ。その名誉に対する世間の見方が変われば、お金持ちの価値観も変わるはずだ。芸能人のお宅拝見も飽きてきた。有名人は、社会貢献について、どんな活動をしているのか?こういうTV番組がもっとあっても良いと思う。人権保護、障害者支援、環境保護、社会資本整備、災害復興...世の中は、お金を必要としている。もちろん自ら進んで、そういう活動に参加することは大切だが、理想を言っても何も始まらない。NGO・NPO、SRI(社会的責任投資)など資金提供によって間接的に社会貢献するためのインフラも徐々に成長している。こういう社会貢献のための資金提供について我々がもっと称賛するようになれば世の中も変わっていくのではないか?「自分のことは置いといて他人にブッダになれ」なんておかしい。偽善だなんて言わずに、お金持ちの名誉欲を認め、大盤振る舞いについて称賛してあげたらどうか?問題があれば後で改善すれば良い。整理すると、利己と利他が両立するということは、自分と他人の欲求を互いに満たすこと。つまり心理的GIVE&TAKEである。それは、金銭的GIVE&TAKEだけに限らない。互いに等価と考えれば何でも成り立つ。うまくいけば1+1を超る効果を生み出す。それがシナジーだ。社会も企業もシナジーを生み出すことで発展する。できる限り多くの人が、各々が持つ多種多様な欲求を満足させることができるように、この心理的GIVE&TAKEをうまくマッチングさせる仕組みを作ることが重要だ。考えてみると、世の中には、そういう成功事例は沢山ある。結局、政治や経営も、やり方次第なのだ。つづく【送料無料商品】完全なる経営 アブラハム・マズロー (著), 本当の「自己実現」を生む人間主義経営とは何かを問う。ドラッカー批判に対して、ドラッカーが絶賛したという不滅の作品。古典に、こんな先進的な経営理論があったとは!