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many smile〜シングルマザー・ライフ 笑顔いっぱいの日々を〜

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2024.03.27
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カテゴリ:離婚


こんにちは、めにーすまいるです(^^)
ご訪問頂きありがとうございます!


休日 午前。

配信サービス見ながら、アイスを
食べるという至福の時間꒰⁠⑅⁠ᵕ⁠༚⁠ᵕ⁠꒱⁠˖⁠♡




その後、午後から恒例の実家の母の愚痴を聞きに行く前に風呂掃除など、家事を片付けていたときのことです。


息子が、

「これから元家に行ってもいい?
■■(いとこ)が来てるってじいちゃんから
連絡あった。(妹)にも、これから聞こうと
思ってるんだけどさ」

と言ってきました。


…え?

↑これは私の脳内ひとりごと。


『あー、(息子)が行きたいなら
行ってきなよ〜(^^)』

と答えました。

「おれは行こうと思う」

娘は断ったようです。


元義父が、息子をアパートまで
迎えに来てくれることになったようで。


いとことは、学年が近いこともあり
離婚前は長期休暇のたびに帰省して
来ていたので、仲良くしてました。


離婚後、いとこと連絡先交換もしていなかった
のでオンラインゲームもできず、
息子が寂しそうにしていたのは知ってました。


離婚しても、いとこはいとこ。
その繋がりを、私の勝手で断ち切ることは
出来ないと思っています。


…ただですね。

元義姉さんがどう思うのか、ってゆーのが
ちょっと気がかりでした。

離婚後、元夫の病状が悪化した時に
保健師さんの依頼で連絡を取ったことが
あったんですけど。
まぁ…、あんまり私のこと良く思って
ないだろな〜って反応だったんですよね。



なので、短時間の間に思考を
巡らせて

「あ!いとこは今年高校入学だ!」と
思い出し、入学祝いなんて大げさなものに
せず、いとこへのお小遣いとして用意し
息子に託しました。
これで、元義姉さんも少しは気をよく
してくれるだろう…と。


そこまでしなくても?って
思う方もいるかもしれません^^;
でも、元家に行くのは息子だけなので
息子が少しでも嫌な思いをしないように、
ってゆー配慮です。



帰宅後の息子から、元夫の
話が微塵も出なかったのが
良い?例で、元夫は全く持って
子どもの気持ちを気遣って…とか
出来ない人だから、フォローとか
絶対期待できなかったのでಠ⁠◡⁠ಠ

とゆーか、現在の元夫の病状なども
全くわからない状況なので(わかりたくも
ないが)息子の顔すら見なかった
可能性もありますಠ⁠∀⁠ಠ
もう4年くらい会ってないのにね。


まぁ、元夫と何かあったとしても、
今じゃ息子の方がタテもヨコも
体格で勝っているので、その辺の
心配はしてないんですけど。



息子は、いとことも連絡先交換できた
みたいで、楽しかったようです。


私としては…
すごく すんごく 複雑ですけども。
出来ることなら元家との繋がりは
持ちたくない。

めっちゃ嫌。

けど、子ども達にとっては
祖父であり 父であり
伯母さんで、いとこなんですものね。



私の不安は、
元家に何かあったときに
うちの子ども達を頼ってくるんじゃ…?
ってこと。

でも、元義姉さんも元義兄さんも
いるわけだから、万が一はそれを
口実に回避しなくては…。


* * *

めにーは、離婚前に一度
子ども連れて半年ほど
別居しています。
実家にお世話になっていました。


離婚する2年前くらいだったかな?

元夫の病状が悪すぎて、
私の精神状態が限界になりまして。

元夫は一度、アルコール依存症の治療のため
2ヶ月入院してるんですが(離婚後も入院
した模様)

依存症てね。
やはりそんなに甘いもんじゃないんですよね。
結局だめで、子どもはまだ小さくて手は
かかるし、夫は転職・休職・無職を
繰り返すし。
重ねて私は、当時の会社で激務の部署へ
異動になっちゃって。

色んな精神的負担で一ヶ月に7キロも
痩せました^^;今考えると、病的…。


そんなこんなで耐えられなくなって
別居に至りました。



別居して半年。
別居解消のきっかけは、
元義母からの「余命宣言」でした。


忘れもしません。

別居中だったけど、下校後や
行事の振替代休のときは、子ども達の
交友関係のことも配慮して、元家で
過ごしていた子ども達。

あれは運動会の代休だったな。
子ども達を迎えに行った際、
元義母から深刻な面持ちで告げられました。


余命半年のすい臓がん。

当時の無知な私でもわかるような
病名でした。

発見された時点で治すのは
困難ながんという認識。


それから一ヶ月もしない内に
別居を解消しました。

事情を知ってるママ友からは
「私なら戻らない」とか
言われたっけなぁ。
でも、私は元義母を見捨てる
選択はできなかったんだよな、、、


別居解消直前は、
元夫も心を入れ替えたのか?
転職先で頑張って働いてました。


別居解消して、一ヶ月くらいは
なんてゆーか
普通の平穏で平凡な家族だった
んですよね。

元夫も断酒を頑張ってたし、
仕事も続けてました。
一度別居したので、私の心は
元には戻らなかったけど、
精神的に安定していたので
夫婦の関係性も穏やかだったから
子ども達も自然と笑顔だった
気がします。

あれ?
ついこの間まで別居してたよね?
なに?このなんにもなかったかのような
雰囲気…といった、私だけが感じていた
違和感はありました。


けどですね。
まぁ、平穏な日々はそう長くは続かないもんで。


元夫は飲酒を再開し、
途端に仕事に行けなくなって
引きずられてうつ状態も悪化。
んで、退職。

元義母の病状は日々悪化していき
フルタイム勤務・全ての家事・子どもの
学校対応…すべてが私の役目で。


離婚が何度も頭をよぎったけど、
そういういっぱいいっぱいの時って
頭が全く働かなくなるんですよねぇ…

考えなきゃいけないんですけど。
頭が、考えることを放棄してるんです。

で、元義母を看取って
田舎なので自宅で通夜や出棺の段取り。
私、当時は一応「嫁」って立場でしたけど。
やってることはほぼ家政婦さんでした。

元義母が亡くなる2週間前から帰省してきていた
元義姉さんは、ただいるだけで何もしてくれないし
(上げ膳据え膳はラクだっただろうなぁ…)

葬儀の時も、嫁の出番はほぼゼロなわけです。
元義母の兄弟子供がメインで。
まぁ、ラクでしたけどね。
食事作りばかりしてました。
元義母のテリトリーだった台所で、
親戚のおばさんらから
「めにーちゃん、お箸どこ?とっくりどこ?大きな皿は?」

いや、知らんがな。
そういうことには手を出してこない元義姉さん。

元義母の遺影も、子ども達がわかるような
最近の写真にしてほしいと伝えたんですけどね。

まぁ、私の意志はガン無視(言い方悪くてすみません)で、うすら20年も前の、子ども達は「え?誰?」ってなるような、昔の写真になってました笑

この辺は、元義父の兄弟の方々(田舎のお年寄り)の意見が強すぎて、元義姉さんも裏で憤慨してたけど。

しまいにゃ、ご焼香にきた皆さんが
元義姉さんに「大変だったねぇ」って声を
掛けるんです。

「いや、大変だったの私ですけど」って。
「一年前は別居してたんですけど?」って。
「ほんと、よくやったよ。私」

元義母が亡くなった悲しさより、悔しさの
方が上回ってました。
正直、元義母の葬儀で私 泣いてません(⁠⌐⁠■⁠-⁠■⁠)




この元義母の葬儀から半年後には、元家を出て
離婚してました。

本当は、一周忌過ぎるまでは耐えようと
思ってたんですけどねぇ。

元家 元夫 元義父 元夫の姉兄
元家の親戚 田舎の習わし、付き合い方
・・・すべてに嫌気がさしました。

きっかけは些細なことでしたけど
積もりに積もった軋轢って、
けっこう簡単に爆発するもんなんだな、
って思った。

んで、覚悟が決まってからの決心て
相当のことがないと覆らないもんですね。

「誰がなんと言おうと、もう自分ひとりで
なんとかしてやるーーー!」ってなった。


* * *

今回、息子が数年ぶりに元家を
訪問するにあたり、

離婚前後の記憶が、ぶわーって
思い起こされました。

もう随分と前のことなので、
気持ちが落ちたり、動悸がしたり
することはなくなりましたが、
やっぱり思い出すのは気持ちいい
モノではないですね。


私の読ませて頂いているブロガーさんも
なかなかに波乱万丈な人生を歩まれてる
方が多いです。
だからこそ、今発信されてる言葉に
重みがあるというか。


人生、何があるかわかりませんね。

できるなら、残りの人生は
もう少し平穏であれ、と
祈るばかりです^^;


今回はダラダラと長く
愚痴ばかりになってしまい
すみません…m(_ _)m



それでは(^_^)/~





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最終更新日  2024.03.27 08:55:06
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