臓器提供の意思
永い友人から、メールが届きました。『職場で、臓器提供意思の書類が配られました。。。暫し考え込んでしまいました』そう、書かれていました。『合理的だし倫理的だと思うけど。。。抵抗感が拭い去れない』ともありました。私は、稀な偶然から、脳死移植ドナー手術の麻酔を担当したことがあります。そこで経験したこと、そして感じたことは、「(少なくとも今のところ)、日本の方法はとても丁寧で慎重だ」というものです。ご本人の意思はもちろんですが、ご家族の希望は何よりも優先されます。つまり、ご家族が提供に賛成でない場合には、適応となりません。そして、選択に関わらず、最大限の医療とケアをさせていただきます。医師主導ではなく、専門家(コーディネーター)が命令系統のトップです。移植を賛成か反対かは別のこととして、日本の医療のなかでも、極めて慎重でデリケートな分野だと感じました。でもこれは、私が、医療行為として感じたことにすぎませんし、その感じ方自体も、ひとによって違うだろうと思います。そして、その感じ方こそが、一番重要なことなのかもしれませんよね。友人への、私からの答えは、このようなものにします。あくまで、私の考えたことですが。『もし、あなたの大切なひとから、[提供意思をしたい]と聞かされたときに、 あなたは、どんな気持ちになるでしょう。 それがあなたの、臓器提供に対する気持ちのひとつだと思うよ。』