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2023/05/29
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カテゴリ:音楽

(ハープは10世紀にはアイルランドの王族たちが愛用し、国のシンボル的楽器でした)

「ダニー・ボーイ」については、ネット上に沢山の記事があげられていて大変参考になっています。私もここであれこれと書いていますが、これは得た情報を私なりに整理したいので、すみませんが重複覚悟で書かせてもらっています。

さて、幾つもの記事の中で特に充実した資料を見つけたので追記させてもらいます。
小村志保さんという方の『「ダニー・ボーイ」の歌をめぐる一考察』という論文で、歴史的な背景からの詳しい記述がされており、とても読みごたえがありました。

ダニー・ボーイはロンドン/デリー出身?「ダニー・ボーイ」の歌をめぐる一考察(PDFデータ)(これは12ページもあるのでちょっと読みづらいかもしれません。)

この論文によると、この曲はその歴史的背景と深く関わりながら変遷してきたそうです。アイルランド北部で生まれた曲が、イングランドからの侵略や迫害のもとで消滅しかけ、それを守ろうとする人々によって歌い継がれ、記録されてきたとのこと。
 
そんな経過の中で様々な歌詞が付けられたり、編曲されたりして沢山のバリエーションを生み、広く人々に広まっていったようです。
 
また「ロンドンデリーの歌」という題名は屈辱的だとする声もあります。この地名はイングランドの植民事業で名付けられたので、古来の地名の「デリーの歌」と呼ぶ人々も多く、今日もなお、沢山の血が流された紛争の歴史が尾を引いています。
 
 
とりあえず今回は、先日に記したことへの補足として、沢山あるバリエーション曲を整理し、この曲の誕生から今日までの変遷説を自分なりに時系列でまとめて、図にしてみました。


ダニーボーイの変遷図>
 
16世紀末に作られたとされる「丘の上のエドモンド」から、「若者の夢」が生まれ、それが「ロンドンデリーエア」と「ハイド城」に分かれて、それぞれが「ダニー・ボーイ」と「庭の千草」に至るという説を図示しました。
また「オカハン族の嘆き」が「若者の夢」の原曲だという説もあるので、付け加えてみました。
 
なお「庭の千草」が「ダニーボーイ」の類型とされているのですが、私にはどう見ても同じ曲とは思えません。でも専門家によると類型と見なされるようです。


The groves of Blarney, "'Tis the last rose of summer"
(「庭の千草」の元歌の「ブラー二―の森/最後のバラ」と表記されたハープ演奏)

伝統音楽の世界では人から人へと伝わっていくうちに韻律や音域が変わったり、歌詞や構成が変化したりします。そのため異なる曲に思えても同じ曲から発展した場合があり、構造を注意深く分析することで根幹が同じ旋律だと判断できるそうです。(19世紀の音楽収集家ペトリーの論)

まあ、こんなふうに様々な曲の変遷にまつわる事柄をあれこれ考えながら探るのも面白いですね。
 

(追伸)
アイルランドの悲痛な歴史を見ると、ロック・ギタリストのゲイリー・ムーアがいつも怖い顔をしていた理由がよくわかりました。また、別の情報によれば、ムーアの葬式でも彼の息子がダニーボーイを弾いたそうです。


(ご参考)
小柳有美さんのブログ「the Muse / Danny Boy (Londonderry Air)  Part1」にも各曲についての詳細な記述があって興味深いです。


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<アイルランドの調べシリーズ>
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最終更新日  2023/12/29 11:50:57 PM
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