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カテゴリ:イタリア生活
私は夫の両親と完全同居している。
義両親は絵に描いたような良い人たちで、例えば 近所の身寄りの無いお年寄りのために老人ホームの お金を払い続けていたり、私が来るまでは一人暮らしの 近所の人たちをクリスマスに家に招待したり (どれも本人たちは一切口を閉ざしていて近所の人たち から聞いた話)と人間的にも尊敬できちゃうような人たち。 おまけに特に義母、私が来た途端に夫の世話をするのを やめ、まったく口出しをせず、すべてを私に任せて くれるようになったのは本当にありがたく思った。 義母も立派なイタリアのマンマの一人なので、これまで 大切に世話をしてきた自分の息子が今までとは違う方法で 世話をされている(おまけに和風だし)のを見るのは 時として思わず手を・口を出したくなることもあると思うのに、これまで一度も「こうしたらいいんじゃない?」とか「こういう方法もあるわよ」ということさえ言われたことがない。常に知らん振りして見守っていてくれているので嬉しい。 (まぁ夫のおかげもあるけどね。奴は100%私の味方で、 私が義両親について文句を言っても完璧に最後まで 聞いてくれて、「わかった。僕がなんとかするから」と 私と義両親お互いにとって最も良いと思われる方法で 解決してくれる。同居→別居も奴が頑張ってくれたお陰。) 考えてみれば、普通の日本家庭にある日突然アフリカから お嫁さんが来たようなもので、彼らにとっては私の行動の ありとあらゆることが不可思議で驚きの連続だったと思う。 時には反発したい時もあっただろうし、イタリアの方法を 教えたい、と思ったこともあっただろうけど、それでも 彼らは私のやり方を尊重して何も言わずにいてくれた。 すごい忍耐力で見守ってくれたんだなー、と感謝、感謝。 でも、 同居って「常に他人がそばにいる」ことなんだよね。 どんなに同居相手がいい人であっても、いつでもどこでも 他人の気配を感じ続けるのはやっぱり簡単なことじゃなかった。 休みの日、夫が仕事に出かけて行ったから、とベッドで 昼間でゴロゴロしていたくても、義母が私たちのために 昼食の用意をしてくれていると思うと自分だけ悠々と 寝ているわけにはいかない、と気にし始める。 (夫も義両親も決して何も言わないし思わないとわかってるけど) 今日はバスタブに新しいオイルを入れてゆっくりするぞ!と 思っても、お湯に浸かりながら「あー、もしかしたらトイレ を使いたくて待ってるかなぁ」と気にしてしまう。 (たとえシャワーを浴びるだけでも一々「バスルーム使いますけどいいですか?」と一応断るのもかなりうざい) 夫が朝晩で5時に起きる時、泥棒にでもはいったかのように 物音を立てないように行動しなければならず、会話もヒソヒソ 声で馬鹿らしくなる。 仕事が終わってまずシャワーを浴びたくても、彼らがテーブルで待ってると思うと速攻食卓について食べ始めなきゃならない。 などなど二人暮しでは必要の無い気遣いが辛い。 実は先週の日曜日から義両親が旅行に出ているのだが、 この1週間の開放感ったらない。 私は相変わらず毎日12時間労働で、仕事の後に食事の用意や 後片付け、掃除などをしていて正直肉体的に辛い。 でも、精神的にはものすごーーーーく楽なんだよね。 疲れているときに食卓でお愛想で頷かなくていいし、 恐ろしいほどのカロリーたっぷりの食事を無理して食べなくていいし、 パジャマでウロウロできるし、 リビングで大音響サラウンドシステムでMTV見ながら歌えるし、 好きなときに電話を独り占めして長電話できるし、 好きなだけバスルームに篭っていられるし、 とくだらないことばっかりだけど、こういうことがまったく できない365日って辛いと思わない? 特に私は14年間一人で暮らしていたも同然だから、 より一層これが辛く感じられちゃうんだろうと思う。 これから新居に引っ越した後、もし子供を授かることが できて仕事をやめた場合、はっきりいってこれまでのような 生活はしていられなくなる。外食も減るだろうし、 旅行もそんなに行くことが出来なくなるだろう。 でも、こういう毎日の生活が充実するのってやっぱり 大事なんじゃないかなー、とこの一週間ですごく思った。 と同時に、これまでどれだけ自分が我慢して過ごして きたんだろう、と少し感じた。 引越しまであと4ヶ月!これからは自由に生きるぞーっ 笑。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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