|
カテゴリ:愛
みうらじゅん 1958年2月1日京都生まれ。 AB型。 武蔵野美術大学卒業。 在学中、月刊漫画「ガロ」でデビュー。講談社ちばてつや賞受賞。 漫画家。イラストレーター。マイブーマー。 「マイブーム」「クソゲー」などのさまざまな概念を産み出した張本人。バンド「大島渚」を結成してイカ天に出演、奥村チヨベスト版「チヨ!コケティッシュ爆弾」プロデュース、仏友・いとうせいこうと共に繰り広げる「ザ・スライドショー」等、ジャンルに囚われない活躍振りを見せる。20数年前、日劇前のゴジラ人形を盗んだことをカミングアウトした。 「GAHAHAキング爆笑王決定戦」の審査員を務めるなどお笑いの批評にも定評があり、ダウンタウンの松本人志をして「お笑いの批評で信頼できるのはみうらじゅんとナンシー関だけ」(『クレア』1994年7月号)と言わしめた。 ●ビデオ「吉本ギャグ100連発」をプロデュース。 ●TBS"いか天"に大島渚(バンド)で出演、日本武道館出場。 ●吉本興業制作「映画・お笑い虎の穴」を企画、監督。ゆうばりファンタスティック映画祭に出品し、 金のメロン賞受賞。 ●奥村チヨ氏の歌を選曲したCD「チヨ!コケティッシュ爆弾」を発表、 チヨ・ブームの火付け役となる。 ●95年春「仏画展」を吉祥寺パルコにて開催。パルコ史上歴代2位の動員数を記録。 ●96年春と冬、そして97年冬、仏友・いとうせいこう氏とのトークライブ「ザ・スライドショー」をラフォーレミュージアム原宿で開催。 チケットは毎回販売即日ソールド・アウトで大好評を博す。97年春には新幹線貸し切りによる見仏ツアー「京都・奈良」(新幹線社内DJ、京都会館でのスライドショー付き)を行う。 ●ビデオ「漫才の殿堂」シリーズ全12巻(ポニーキャニオン)をプロデユース。 ●大木こだま・ひびき(漫才)の東京公演をプロデュース。 ●俳優田口トモロヲ氏とチャールズ・ブロンソンを崇める男気チーム"ブロンソンズ"を結成し、CD、書籍、雑誌の表紙やCMモデル等で活躍。 仏像 怪獣好きだった小学校4年生のみうらさんは、 東大寺戒壇院で四天王像に出会い、衝撃を受ける。 以来、 かっこいい仏像の写真を切り抜いては貼る、 仏像スクラップを開始する(全7巻)。 ところが高校生くらいになって「仏像じゃモテナイ」っていうことに気が付いたんです。お寺の坊さんになろうと、わざわざ仏教の中学に入ったのに。地方には住職がいないお寺とかいっぱいあるから、そこでお寺と本尊を手に入れようと企んでたんですね。でもそれじゃモテないと気づいてショックでした。で、そのときちょうど、吉田拓郎とかボブ・ディランとか聴いて、「これかな」って(笑)。 つっこみ如来像 「つっこみ如来」 人間の生み続ける煩悩に対し もう、えーかげんにしなさい!!と ツッコミを入れてくださるありがたい如来像。 みうら氏の友人、仏師・トットリ氏が魂を込めて製作したものである。 第1回「大仏連法会」にて初公開された。 みうら氏の仏像に対する「愛」は深い。ウルトラマンと仏像との関係を説くみうらじゅんには感動さえ覚える☆ ある日、ひょんなきっかけから「いとうせいこう」氏との仏像に出会いに行く旅が始まる。 この「見仏珍道中」はDVD、本として発表中。 [見仏記](いとうせいこう・みうらじゅん著)より、ちょっと抜粋 実はみうらさんは京都出身で、小学校の時に仏像に魅せられ、 様々な寺に出かけては仏像を鑑賞していたという人である。 当時作成したという分厚いスクラップブックを見せてもらったことがあるが、 それはかなりすさまじいものだった。 いわば切手マニアが切手を集めるようにして、みうらさんはそのスクラップブックに拝観チケットを貼り込み、その横にいちいち感想を書き入れていたのである。 小学生にしては相当変わった趣味だ、と思う。 休憩を取るはずの新幹線の中でも、興奮したみうらさんはしゃべり続け、 本当にあっという間に京都に着いた。 タクシーをようやくつかまえて奈良ホテルに向かう。 だが、みうらさんは私を休ませてくれない。 荷物を置く間もなく、外に出る。奈良はすでに初夏のような陽気だ。暑い。 「興福寺、まず最初は興福寺。もう仏(ぶつ)が目白押しだから。それにね、いとうさん」 カメラを片手に持って、みうらさんはまた耳元に口を近づける。 そして、ポン引きが女をすすめるような感じでささやく。 「阿修羅がいるよ」 これには笑った。阿修羅が”ある”のではない。 みうらさんにとっては”いる”のだ。 まずは、国宝館に入ることにした。もちろん、みうらさんの導くままにである。興福寺は二度目だが、この仏(ぶつ)マニアみうらじゅんと見る仏像は相当に印象が違うだろう、と思った。 ひんやりする館の中に足を踏み入れ、有名な仏頭を見た途端、みうらワールドが始まった。 顎のしっかりとした、それ自体でがっしりと座っている感じのあの仏頭。 それを見ると、みうらさんは一言こう言い捨てて、奥へと去って行ってしまったのだ。 「加藤登紀子」 (笑)(笑)(笑) あーーもう最高に面白い!(ハピカム☆^^/) いやげもの 『いやげ物』とは、土産物としてもらっても嫌だけど、何故だか気になって、つい買ってしまった土産物の総称。 栓抜きのいやげものシリーズは面白い!ちなみに「ヘンヌキ」とみうら氏は命名している。(笑) プレイ プレイ。それはたとえば、「露出プレイ」とか「聖水プレイ」とか「放置プレイ」といったときに使われる意味での「プレイ」である。 今、みうら氏は「親孝行プレイ」というものを提案している。(笑) また実行もしている(笑笑) みうら氏は親に対して、彼なりにいろいろな感情があるらしい。 しかし、親を本当に心から愛するためには、もう時間がない その感情を自分なりに整理して、許せるように、愛せるようになるにはもう時間が足りないかもしれない、、 ならば、感情に左右されずにまずは「プレイ」として楽しみながら、 親に接触してみようというものである。 みうら氏曰く、人生は始まった時から「余生」! 楽しむが勝ちなのである。 みうら氏は、「ロックンローラー」ならぬ「オヤコーラー」になろう!と叫ぶ。(笑) 「親孝行」って、いうのがなんかちょっと儒教みたいで固いじゃないですか。 だから、「親コーラー」とか、ロックンローラーみたいな 親コーラーって一応呼んで、 「俺は親コーラーなんだ!」って。 、、で、四国行く時は「お偏ローラーなんだ!」みたいな(一同爆笑) あるじゃないですか なんか そうやって。 自分の役どころを決めるっつうのはどうなのかなって思ったんですよね。はい。 「親なのに」 「子なのに」 「親子なのに」 これまで、親子関係、そして親孝行に挫け、破れ、去っていった多くの若者たちは最後までそんな命題をぬぐい去ることができなかった。 親子という特別な関係なのに、なぜ誰よりもコミュニケーションがうまく取れないのであろうかと悩み、傷つき、倒れていったのだ。 私自身も親孝行学を学び始めたころは、やはりこの命題にぶち当たって悩んだものだ。 しかし、今では諸君にこう教えることができる。 「親だからこそ」 「子だからこそ」 「親子だからこそ」 誰よりも気を使い、誰よりもサービス精神を持ち、 誰よりも接待感覚を忘れてはならないのだ。そう、親を喜ばせるという行為は、もはや「心の問題」ではなく、実際にどう行動するか――つまり「プレイ」の一環なのである。心に行動が伴うのではなく、行動の後に心が伴うのが、現代の親孝行なのだ。 恥じることなかれ! 親を喜ばしたい気持ちは誰でも同じ。 心に"プ・レ・イ"の三文字を刻み前進あるのみだ。 "親孝行プレイ、したい時には親はなし"では困るのだ。 諸君の成功を祈る! いや~☆みうらじゅん最高~~♪です☆ 氏に対してはまだまだ書き足りないです。(笑) わが心の師ですな(笑)とっても優しい人だと思いますよ。 画もかわいいの描くんだよ~♪ また後で書こうかな☆みうらじゅん♪ ではまた♪ ↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/07/30 02:32:29 AM
[愛] カテゴリの最新記事
|
|