|
カテゴリ:詩
最近いいなあーと思うCMがあります。 そのCMの中で出てくる台詞が 「窓は風景を切り取る装置である」 と言う言葉。 なるほど、、確かに窓ってときには額縁のような役割をはたすのですよね。 私がそんなCMをみていて、そういえば、あーいいなあと思っていた窓が 「星野富弘」さんの作品を展示していた 「星野富弘旧美術館」にあったなぁとふと思い出しました。 今は新しい星野富弘美術館が出来て作品はそこで展示しているようです。 旧星野富弘美術館の 一階と二階の階段の途中にあったその窓は、 そこから見える風景を見事なバランスで映し出していて まるでそれは大きな額縁のようで 素晴らしい絵画が展示してあるようでした。 窓って本当に風景を切り取る「装置」なんだなぁとつぶやいた今日なのでしたー^^ 星野さんは中学校の教師としてクラブ活動を指導している途中、 頚髄(けいずい)を損傷し、手足の自由を失いました。 そのことから、口に筆をくわえて字や絵を描き始め、 現在でも詩画や随筆の創作を続けながら、全国で「花の詩画展」を開いています。 いのちが一番大切だと思っていたころ 生きるのが苦しかった いのちより大切なものがあると知った日 生きるのが嬉しかった 神様がたった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら 母の肩をたたかせてもらおう 風に揺れるぺんぺん草の実を見ていたら そんな日が 本当に来るような気がした 星野さんは御見舞いに来てくれていた女性と結婚することになるのですが、 次の詩はその今の奥様に送った詩です 結婚ゆび輪は いらないといった 朝 顔を洗うとき 私の顔を きずつけないように 体を持ち上げるとき 私が痛くないように 結婚ゆび輪は いらないといった 今 レースのカーテンをつきぬけてくる 朝陽の中で 私の許(もと)に来たあなたが 洗面器から冷たい水をすくっている その十本の指先から 金よりも 銀よりも 美しい雫(しずく)が 落ちている 星野さんの作品を実際にみるとじーんときますよ。 ◇星野富弘プロフィール 1946年 群馬県に生まれる。 1970年 群馬大学卒業。中学校の教諭になるがクラブ活動の指導中頸髄を損傷、手足の自由を失う。 1972年 病院に入院中、口に筆をくわえて字や絵を書き始める。 1979年 前橋で最初の作品展を開く。 1981年 雑誌や新聞に詩画作品や、エッセイを連載。 1982年 高崎で「花の詩画展」。以後、全国各地で開かれた「花の詩画展」は、大きな感動を呼び、 現在も続いている。 1991年 群馬県勢多群東村に村立富弘美術館開館。 1992年~ブラジル各都市で花の詩画展。現在も続いている。 1994年 ニューヨークで「花の詩画展」 1997年 ハワイで「花の詩画展」 2001年 サンフランシスコ、ロサンゼルスで「花の詩画展」 2003年 ワルシャワ国立博物館で「花の詩画展」 2004年 富弘美術館の入館者470万人。 2005年 (新)富弘美術館オープン 現在も詩画や随筆の創作を続けながら、全国で「花の詩画展」を開いている。著書に、新版「愛、深き淵より。」「風の旅」「かぎりなくやさしい花々」「鈴の鳴る道」「銀色のあしあと」「速さのちがう時計」「あなたの手のひら」「花よりも小さく」「星野富弘全詩集」「山の向こうの美術館」等がある。 遠い親戚です。(笑) 有名人になると親戚増えますね。(笑) 「星野富弘美術館HP」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/01/10 02:37:39 AM
[詩] カテゴリの最新記事
|
|