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カテゴリ:お話し
祖母の育ちが良いことは 家族みんなが知っている しかし、それは過去の話し
親類は離散し皆無に等しい 生きることで精一杯だった時代 寄って来るのは、援助が目的
祖母は、 現実が受入れられなかったのだろうか でも、それならば、 戦後は行き抜けなかっただろう
今、思えば 孫達には、凛とした人に育って欲しい そう言う思いが強かったのだろう だから、躾が厳しかったのだと 特に男の私には・・・・
でもなぁ。。。。。 子供の私が生活しているのは 工場だらけの下町・・・ 『われ!おんどれ!』と言う言語を使う土地柄 それをなぁ 『ダメです!私、君』と言いなさい・・ そんなことを言っていたら、友達でけへんで?
田舎に越しても もっと自然児が一杯いるんやから 遊ばなかったら、友達でけへんで?
この時、私に大切だったのは友達を作ること 自分の生きる環境を作ること 私はそれだけで精一杯やったんやで・・・・ 分かってくれてたんやろか? お婆ちゃん。。。
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