沖縄視察レポートNo2
2月16日開催の「須高憲法セミナー」で「憲法と沖縄基地問題について」をテーマに話をさせていただいた。沖縄基地視察で感じたことと、憲法とのかかわりについて述べたが、思いが通じたか心配だ。今回は、沖縄視察の第2弾だ。先の大戦で、米軍が最初に上陸した読谷村で集団自決により壕(ガマ)において大勢の犠牲者を出してしまった。チビチリガマでは140名の避難者のうち83名が亡くなった。親子、兄弟の手によって殺されたのだ。このガマでの写真はさすがに撮れなかった。近くにあるシムクガマでは、延長2キロに及ぶ洞窟の中に、1,000名以上の避難者がいたが、米軍上陸直後の戦車砲弾により3名戦死したのみで、他の全員が捕虜となって生き残った。シムクガマの写真シムクガマの中からこのシムクガマには勇気ある指導者がいたのだ。比嘉平治、比嘉平三の二人が、米兵の前に立って状況を説明し、パニック状態の避難者には、落ち着くよう説得したのだ。極限状態における指導者の役割が、非常に重要であることの証明だ。