◆ネオ・エデン計画の総会に◆
さて。彼をどこまで説得できるだろうか。彼は「遊んでいるのであってボランティアをしているのではない。」と言い張る。その一方でボランティア保険には入っておこうとか会話が飛び交う。あーなまぐさい。しかし、あと20年後、炭焼き窯を石釜で組み上げる技術を持った人がどれだけいるだろうか。それだけではない。先週のダッシュ村の登り窯みたいなものを自信をもって粘土を選び組み上げることができるかな。更に、窯に入れるべき薪を確信を持って伐採して選べるだろうか。技術というものは原因と結果は大雑把でも過程は極めて繊細だ。鳥を捜すようにだ。だから、遊びであってもときにはいつのまにか特殊技能者になっていることがある。自らのボディーイメージを共有することがときには大切だ。*朗らかに燃える薪ストーブの前で、「今年はどうしようか」という総会の話をする。年間予定表を見て、ごちゃごちゃにかきまわすタイミングを計る。こういうことは、教会政治で散々経験しているから中核にいる数名の視線が泳いだら全部ごちゃごちゃにしてしまうのだ。そして結果的になるようになるのだ。おぃらは組織をふりまわしているのだ。しかし彼らは気づかない。「ぶちこわす」と言ったら気づくかもしれない。自らの卑小さにだ。*総会が終わったあと、ふくろうをおいかけて歩いた。あるいた。あるいた。まずは山のてっぺんに登る。それは鳥の渡りの経路を見るためだ。鳥だって風水で居場所を決めるからね。そして5箇所ほど場所を決めるとまた昨日のように歩いた。犬に吼えられ適当にスターレットを止めて怒られ、しかし、今日はからぶりだった。「コミミズクがいる場所」は情報を得たのだが・・*「なあ、カケルさんよ。畑どうするべ。」「どうするべって、イノシシ捕獲の許可得るべ。」「ちっとこの地域では無理なんだ。」「んでわ、イノシシにハバネロ食わせるべ。」そんな話をして総会を終わる。しかし、おぃらは思うのだ。里山を維持管理するということは決して自然にやさしい「行為」ではないのだと。さらに税金つまりは補助金の受け取りをかたくなに拒否する君よ。ときには遊んでいることでも「未来への遺産」になることがあるだろうよ。遊びを自己満足でおわらせなければいつのまにかボランティアになることもあるかもしれない。議論は尽きず。日は暮れて満月16夜にクリックしてね! 人気ブログランキングへ!!