|
カテゴリ:次元
本日中にダレか8999か9000を踏むですよ!お気をつけあれっっ!(爆)
と叫んでいるみえ★mie★です、こんぬずぱ♪ モノの本とかサイトとかにも、高次元の存在は、波動を落として低波動存在と接触するとか。 波動の荒い場所に行くのはとても辛い作業であるとか。 そんな思いをしてまで、3次元空間での作業に従事してくださってる存在に感謝。 以前の低波動であった自分が、過去に考えていたこと。 想像の域が狭く、自分の見地からでしかモノを見れていなかった自分の考えていたこと。 高次元の存在は、どうしてもっと救おうとしてくれないんだろう? もっといろいろアプローチをしてくれたら、気付く人もたくさん増えるだろうに。 自分たちだけ高みで観察していて、観察されるもののあがきを見ているだけ。 もっと文字にするなり、目の前に顕現させるなりして、気付きを促すことも出来るだろうに。 なんてね♪ してしてクレクレちゃんだった(笑) あるいは、ときどき目にする文章に散りばめられているフレーズ。 まじめに生きてさえいれば救われるはずだ カルマのせいで地球が今最悪の状況にあるのは全て自分のせいだ だから世のため人のために滅私で尽くすことが最善だ …なのに、自分一人が先にアセンションなんてとんでもない! と続きます。 しかし今の私になって、感じることは。 以前の低波動だった私が考えていたところの、高次の存在に近い意識である、と。 うんうん、そうかそうか…と受け入れる気持ち。 そう感じるんだよね、でも大丈夫だよ♪…と共感し癒したい気持ち。 だからこそ自分で気付くんだよ、それが一番の近道だよ…とそっと見守る気持ち。 あぁなんだ、こういうことだったのか! と今になって、その高次の存在たちの気持ちの一端を知る。 見守られているって、なんて有難いんだろう。 その気持ちは、愛、以外の何物でもないよね。 愛でなく、もしも冷淡冷酷な気持ちであれば、相手が傷を負うまでとことん言及したり もしくは「バッカじゃないの!」なんて捨て台詞を吐いてサッと衣を翻して立ち去るか ふふん、所詮低次元のモノよのぅぅと嘲るか。 厳しい言葉を吐くことも愛のうちだ、という方もいますが、それだけでは片手落ちです。 自力で立ち上がるまで見守り続ける。 そういうのって、愛じゃなければ出来ない行為です。 まさに、母の愛に近いものです。 よく喩えられるのは、母の愛は無償の愛。 見返りを求めない、与え続ける愛。 母の愛は尊い、といわれる所以は、そこにあるのでしょう。 おそらく父の愛も同じなのですが、表立って出てこないだけです。 見守るだけではなく、折りを見て、きっかけを与え、気付きを与え、自分で気付けたら ニッコリと微笑みパチパチと手を叩き「そう♪上手だね~♪」と囁く。 赤ん坊を育てた方なら、誰しも経験のある行為。 父母のように高次の存在たちは、ずっと見守り続け「ここに辿りつきなさい」と、気付こうと思うものだけに見える手を、ずっと懲りることなく、ずっとずっと差し出し続けています。 その手を取るのも、払いのけるのも、自分自身なのです…。 今、まだ迷っている、どっちへ進むべきか戸惑っている、という人がたくさんいます。 だけども考えようによっては、多用な道がある、と気付いているだけでも素晴らしい。 迷うということは、いろいろ見えているということ。 見えなかった昔に比べれば、格段に視野が広がっているということ。 その段階でも、他のまだみえていない人に、道はたくさんあるよと示すことが出来る。 そして私はここから、私のいる位置とはこんな感じですよ、と示すことが出来る。 そしてもっと高次の存在は、その場所からはこう見えますよと伝えてくれる。 ただ、立って見えている風景が違うだけ。 偉いわけでも、優れているわけでもなく。 卑下することも傲慢になることもない。 高次の存在は、愛を送ること・光を送ることが、幸せだからしているのだ♪ ということにも気づきました。 だから、全ての存在への感謝はいつでも感じているけれども、ごめんなさい、この世の全ては私が悪いんです、などという感情を持つ必要は、これっぽっちもないということ。 気付かせてもらったことに感謝し、愛と光を受け取れる自分であろう、とするだけで良いということ。 大きく大きく、腕一杯、胸一杯、広げて吸い込んで♪ はい!深呼吸!スーハーっ! あぁ!生きてるって楽しいね♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[次元] カテゴリの最新記事
|