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カテゴリ:浄化
自分を良く見せたいこと
自分の力をアピールしたいこと 自分の存在を認識させたいこと 今までの自分は、ある程度の自己顕示欲を持っていた、と思う。 どーして私を無視すんの! なんで私のことを理解してくれないの! 私にはこんなことも出来るのよすごいでしょ! あるいは、人にキレイって思われてるかな?と気にしたり。 出来るヤツって思ってほしいと頑張ったり。 アンタみたいに頭悪くないわよ!って人をバカにしたり。 そういうのって、元をたどれば自己顕示にたどり着くような気がする。 人見知りっていうのも、裏を返すと「自分を良く思われたい」という気持ち。 自分の失敗を認められないというのも、同じく。 そういう心理作用に、振り回される原因は。 外に軸を置いているから。 自分のうちに軸を立てれば、他者からの評価で、自分を規定する必要がなくなる。 自分軸になれば。 自分はどう思われてるかな?と思い煩う必要がなくなる。 他人と比較して、自分はダメだ、自分の方が勝ってる、と浮き沈みしなくなる。 自分を磨くのは、他者からよく思われたいためではなく、自分を今より引き上げたい気持ちから。 誰かを自分より低い位置に見出すのではなく、以前の自分と比べて今の自分を把握できるから。 だから、他人の視線に割く思考や心理の配分を、自分自身に向けてしっかり割くことができ、合理的に素早く成長なり軌道修正なりができるようになる。 「客観的に自分を見る」というのは、誰かの視点から自分を捉えることを言うのではなく、自分のエゴから離れた位置から自分を見てみるということだ。 俯瞰的に大きな視点から、自分の在り方、自分の立ち位置、自分の姿を見てみることだ。 自意識過剰というのも、他者の視点から自分がどう見られているか、というレベルだ。 そこではない。 もっと上、もっともっと大きくて高い位置から、自分を確認すること。 神様ならば、今どうするかな?くらいのレベルで。 なぜならば、自分自身も神だからだ。 その視点で見てこそ、取るに足らないことに右往左往している自分が見えてくる。 小さな小さなエゴを顕示したところで。 大きな自分の満足にはならない。 小さな小さな自信を喪失したところで。 大きな自分は傷つかない。 もっと素直に自分自身を見つめ、認め、受け入れ、愛そう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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