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人から考え方がおかしいとか言われることもあるだろう。
光を感じないと言われることもあるだろう。 バカだ無価値だと罵られることもあるだろう。 だけど、自分は存在する。 でも、だれかに気に入られるため、認められるために存在しているのじゃない。 自分であるために存在している。 その目的のために今ココにいる。 それを自分が否定したところで、自分はココにいる。 本来の自分として「ここにいること」を思い出す。 覚えているはずだ。 他者を否定するためじゃない。 自分を否定するためじゃない。 自分が自分として存在するため。 自分を、バカだちっぽけだと罵っても、本来の自分はバカでもちっぽけでもない。 なのに自分をそう称しているのは、悲劇のヒーロー・ヒロインでありたい気持ちの現れ。 そんなに悲劇が好きなのかな? 今までみたいな悲劇をずっと続けていたいのかな? もし、自分を素敵だと思うことに抵抗があるなら、それはだれかに刷り込まれた思い込みにすぎない。 赤ん坊の頃には、何かを達成したときの喜びを全身で自信に満ちて表現していたはずだから。 気に合わない人がいれば、それはただ単に波長が合わないだけ。 たとえ親でも子でも。 劣っているわけでも、ましてや自分が劣っているわけでもない。 誰かをバカだと罵っても幸せな気分になれたことなど一度もない。 不愉快さと虚しさが残るだけ。 だってそれは本当の自分の声じゃないもの。 本来の自分は、だれでもみんな素敵なのだ。 そろそろ自分の素敵さを思い出そう! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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