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カテゴリ:浄化
本日も仕事で、ちょー3次元的事象が発生しました。
今までの私なら、私たちのせっかくの努力を無にするにっくき敵!!とばかりに腹を立て 万全の策を巡らせてコレデモカっっ!!と対抗したことでしょう。 でも今日の私の受け止め方は違ってました。 最初は盗られた販促用什器だけでも返してほしくて、万引き犯を探し回りました。 ゴミ箱に捨てられているかもしれない…と、あちこちのゴミ箱やトイレを探し回りました。 スタッフが離れたほんの30分の間にゴッソリなくなっていて。 まだ遠くには行ってないはず…と。 でも休憩に出た頃には、もう全面的に「赦し」の気持ちになっていて。 心の闇というのか物欲なのか愉快犯なのか、そういう気持ちを持った人がいたとして。 そういうのも全部ひっくるめて、癒されていく世の中が良いなぁ。 盗みが楽しいという気持ちが、癒されていく世界が良いなぁ。 そんな相手を包み込むような意識になっている自分に気付いて少し驚いて。 怒りの気持ちの欠片も沸いて来ない自分がなんだか嬉しくて。 2年前にも、万引き犯との熾烈なる戦いがあったのです。 あの手この手で封じても、面白がっているように次々と盗っていく。 やればやるほどエスカレートしていくのがわかっていても、盗られる悔しさに対抗心を燃やしていた。 その頃はジリジリとした焦りを感じ、イライラとお客さんを敵のように凝視する自分。 完全に「また来い!」と招待状を渡しているようなものでした(笑) でも今は、休憩に出たほんの20分で赦せてしまっている。 赦すというのは、したことを全面的にどーぞどーぞと許すのとは違う。 そういうことをしてしまう人だとしても、なじったり責めたりするのではなく、多角的な捉え方をする…と言うか。 こちらの正義感を振り回す気持ちにならない、とでも言うのか。 私のことを責めてくる人に対しても、同じだね。 なんか、そこに気付けたのでとってもすっきりさっぱり♪ アホだバカだ臆病者だ(笑)と罵られても、それは相手のメガネを通した姿。 その相手の持つメガネは、実はその持ち主の姿を映しているのだ。 「違わい!」と反論する意識もなく、あぁそう見えるのね、私を鏡にして自分の姿を見たんだね、と受け止められる。 そして、盗みをする人や人を罵る人を、可哀相だとも思わない。 そういう傲慢な気持ちにもならない。 それを選択してるんだねぇ、と思うだけだ。 ちょっと進歩した~~~♪と実感できて、少し嬉しいワタシでした☆(笑) しかし…。 ハイヤーさん、あまりにも事例が迅速かつ上手すぎるわぁ♪w 盗難だけじゃなく、新人さんに「コレは何のキーで打つ?」と事例を出していたんだけど。 そのすぐ後に来たお客さんが、私が持ってきたモノとまったく同じものをお買い上げで、あとで新人さんと二人で「ビックリしたね~!」と言い合ったのだ。 「こういう券があるんだけどね…」って説明したら、すぐその後にその券を持ってきたお客さんとか。 もう、すぐさま実践項目を与えてくださって、ほんと感謝感謝! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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