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カテゴリ:アセンション
変化を求めると、何か失うんじゃないか?
そういう不安を持つ人がいる。 そのまま入り口に佇んでしまう人もいる。 そして私は今の自分をかえりみて、失ったものある?と問うてみた。 「ない」 今までは例えばこっちに思考が向いていったけど、今はその向き先が変わっただけ。 自分の不幸自慢をしていたのが。 苦しみ憎しみ辛さ悲しさに照準を合わせていたのが。 近くにあっても気付かずやり過ごしていたたくさんのものが。 幸せに感度を合わせるように。 楽しみを友とするように。 気付かなかったものに目を向けられるように。 方向が変わっただけ。 それが変化。 失ったものはない。 でも得たものは(思い出したものは)たくさんある。 例えば、あらゆるものに向ける視線。 例えば、自分の周りに以前からあったのに気付かなかったこと。 例えば、内から沸いてくる幸せの気持ち。 それは、チューニング。 チャンネル(周波数)を合わせるだけ。 自分の中に元々あるものだから、失うものなど何もない。 もし、具体的に何かを失ったとしたら。 それは本来、必要なかったものなのだ。 失うことに痛みを感じることはない。 不要になったものは、自分から自然と離れていく。 例えば物質的なものかもしれないし、価値観だったり、友達という仲間かもしれない。 それだけのことだ。 失うことが恐いから…と立ち止まっていたら、それを失うことはないかもしれない。 だけども、必要ではないもの、を握り締めているかもしれない。 そして、本当は失うのではない。 自ら手放すのだ。 不要なものは、手放すだけだ。 今までの苦悩を握り締めていたいのか、手放したいのか。 それだけ、のこと♪ 簡単だね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.24 23:51:20
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