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カテゴリ:統合意識
ふと思ったの。
私という存在は、「私」という個別なものではなくて、全体とイコールなんだなって。 ということは。 全体の中から肉体をレンタルしてるだけで、ここにいるような気持ちになってるんだな。 ということは。 私がレンタル肉体なんだったら、他の人もレンタル肉体なんだ。 だから。 私の目の前に存在してくれている人もレンタル。 私に文句を言ってくるお客さんもレンタル。 誰も彼もがレンタル。 何のレンタルかっていうと大いなる存在、神様、宇宙、とにかく大元の元々のひとつのもの。 どんな表現をしている人も、同じものをレンタルしてわざわざ目の前に来てくれているんだ… そう感じると、なんだかすべてありがたい。 私自身が、自分だと感じていられることもありがたい。 具象として目の前に展開すること全てが、ありがたい。 そして、自分の物…と所有する意識もなくなってしまう。 どれもこれも借り物なのだったら、自分のものなど何もない。 自分の肉体さえもがレンタルなのだから。 自分の家、自分の子ども、自分の家族、自分の、自分の自分の自分の…なにもない。 本当は何もない。 ふいに般若心経を読みたくなった。 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色聲香味觸法 … すべて、なにもない。「空」くう。 何も持たず大元の存在に委ねていれば、苦も葛藤もなにも持つ必要すらない。 まだその境地に達したわけじゃないけども、少し垣間見えた(笑) キレイサッパリ、所有することがなくなったら、究極にシンプルなんだよね。 具体的に物を持っていてもいいのだけど、所有している執着が薄まっていく。 借り物なんだもん。すべてすべて、レンタル品。 昔むかし子どもの頃から「家を買う」ことに違和感を持っていた。 どうして地球の一区画を自分のものだっていうんだろう? 地球のその一区画の地殻の奥の奥まで所有することなんて無理なのに…。 地上の上っ面を自分のものだ!って主張するなんてナンセンス~って思っておった。 さらには月の区画を販売するなんざ、誰が元々持ってたんだよ!って話(笑) 本来の所有者でもない人に、大枚払って「今日から自分のもの」なんていうのが滑稽だなって。 誰から買ったの? 元々住んでた豪族?その豪族はどうやって手に入れたの?奪い合い? そのもっと前は誰が持ってたの?原住民? 原住民は所有してたのかな? …借りてたんじゃない?自然から。 本来の所有者って誰? やっぱり大元の全部を包括したひとつの存在じゃないの? その大元からみんなみんなレンタルしているだけなんだから…。 じゃあ! やっぱり借り物をいつの間にか自分のモノだ!って主張し出しただけ、だよね。 土地を買うなんて虚しいなぁ~と感じていた、昔の感性は今も変わらない。 やっぱ、違和感~。 目の前にいる人も、自分と同じレンタル品なんだ…。 どんな人でも誰であろうと大いなる存在なんだ!と感じられるようになってきた、そんな毎日でゴザイマス♪ ありがたいのでアリマス♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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