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カテゴリ:次元
ここのところ、本当の意味での拘りはほとんど皆無になってきています。
言葉の意味を取り違えると、とんでもなくエエ加減なヤツに見えますが。 「どうでもええやん」 標準語訳:どうでもいい。え?翻訳いらん? てなもんです。でも言葉の意味を取り違えないでくださいね?(笑) 決して投げやりになっているんじゃありません。 拘っていないのです。 どういうことかというと。 次元上昇をしたならば、清く正しく慎ましくじゃないといけない?…わけではありません。 物欲があっても俗物ぽくても腹が出ててもいいんです。 パッと見が、どうであってもエエわけです。 なりきるんじゃなく、気付いている。そのスタンスの違い。 たとえば聖者の逆の俗物。 聖者に持つイメージじゃないと失格、みたいに思う人も多いんだろうケド。 失格?何を?どんな資格を? それは自分の中に作り上げた「偶像」に当てはまるかどうか、という資格。 ちょ~一人よがりな資格検定なわけです。 そこに気付いていたら誰にどう思われようと、「どうでもええやん」 だってすべてOKなんですから♪とてつもなくOKなんですよ。 たとえ俗物ぽく見えていても、自分の中にある真実に気付いていたらOKじゃない? 誰かにどう見られる、ってことはまったく無意味。 たとえばとってもタメになるお話をする人だから、高次に違いないとか。 たとえばうだつの上がらないダメダメサラリーマンだから、低級とか。 そんなものには実はあんまり意味がないんじゃないかと思うわけ。 そんなもん、じつは「どうでもええやん」なのですよ。 すべてのことは、自分が心地良いなら、チョイスすればいい。 そして思いました。 やりたいことをやり、食べたいものを食べ、行きたいところに行き、気に入った人を好きになり、笑いたければ笑い、作りたければ作り、何もしたくなければ何もしない。 何をしたいか。何を選ぶか。それだけっすよね~。 そしてまた思いました。 以前に丸まってワンワン泣いていた私は、ワンワン泣くことを選んでいて、そんでその後ろで今の私が、「泣きたいだけ泣いたらいいよ、ずっと見守ってるからさ♪」と背中を撫で、その昔の私を撫でたいなと思う私を、笑顔で見守る私がおり、そしてまたその私を…。 と、私にはキリがないのです。 そのキリがない私を実感したら、あらま!全部一緒にいるじゃない! それに全部一緒って、本当に全部一緒で、どこからどこまで、という区切りがないんです。 時間とともに変化しているのではなくて、私だけがいろいろに変化しているだけ。 どんな私で今居たいのか。それだけ。 ワンワン泣いてる私も全部の中の一側面であって、ここでキーボード叩いてる私も全部の中の一側面、それを見つめてる私も全部の中の一側面…。 ということは、何をしていても全部繋がってるから、だらしない私も怒ってる私も罪深い私も 高尚な私もホワホワな私もズズーンな私も全部1個なの。 だから、どれでも一緒なの。 どんなパターンでもいいの。 どれがダメでどれならイイっていう区別じゃなく。 その中から、今の気分はドレを選ぶ?ってだけだよね。 まぁこれは「私」という単語を使ったけれども、「全体」と置き換えても一緒だね。 そんなことを、お風呂で髪を洗いながら思っていた、ワタシなのでした♪(笑) …そんで、今の私の気分は…眠い( ̄_ ̄) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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