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カテゴリ:楽しいこと♪
えーと、なんとなくお久しぶりです。
前回は夫とデート…と言っていたんだっけ? 内容はデートというよりは、10数年間の結婚生活を振り返る追想記みたいな感じで。 いろいろとあったよなぁ、これからはそれぞれお互い頑張ろうな、というような。 なんだか彼には後悔が散りばめられていたので、それを出来るだけ払拭してあげたくて。 出逢ったのも、別々に生きるのも、子どもがいるのも、「今」こうなってるのは全部必然だったんだよ、って。 なんとなく納得してくれていたようです。 この数年間見たこともないような素敵な笑顔でした。何か憑き物が落ちたような。 そんで、自分には今子どもがいることがとてもありがたい…と言ってました。 ほんと、思えばこうなっていく道筋は、元々ちゃんと用意されていて、それに逆らわず来たから今があるんだなぁ…とつくづく思います。 無理やり私が子どもを引き取っていても、何かと障壁はあっただろうし、今在る条件で一番子ども達が伸びやかに暮らせるのはどういうシチュエーションだろう?を基準に選んできたから、「今」があるんだなって思います。 そして、私は夫がこの段階まで来てくれることを、ずっと待っていたのでした。 自分の気持ちが通らないと感情を爆発させて怒鳴り散らす…が起こらないで、冷静に相手と自分を認めて受け入れて話の出来る…。 それが今やっと、叶ったようです。 それは心の距離感というのか、「自分のもの」という意識を切り替えるというのか。 妻は自分のもの、それは男性が抱きがちな幻想です。逆も然り…でしょうか? 特に男性は、養っているとか庇護しているなどという意識に捉われがちですよね。 妻は、一人の人間です。 それを結婚という契約を交わした瞬間に、忘れてしまうようです。 以前にも書いたけど、所有する、という意識ですよね。 地球の表面の一区画を自分が所有しているというのが幻想であるのと同じく、一人の人間を所有しているというのも、幻想なんです。 同じ幻想に、子どもは自分のもの、ってのもありますね。 子ども達も所有することは出来ません。 親は、この世に生み出す手助けと、大きくなっていく手助けをするだけですもん。 そしてそんなわけで、夫の意識がカチリと切り替わったんだろうな、と実感できました。 「私」という人間がいて、その人が自分の「妻」となっていて、その「妻」という役割は「私」という人には向いてないのに我慢をしていたんだね?って言われました(笑) そうそうそう!そうなんだよ!やっと気付いてくれたね!って感じです(笑) 以前は、今はもう「妻」なんだから「私」「私」って主張するなよ「妻」になりきれ! と怒鳴られていました…。 そこに大いなる矛盾を感じていたのですよ(^^; 妻は役割であって、私じゃない。私でなくなって妻になれって言われても、無理…って。 ○○さんという俳優に向かって、「貴方は今演じてる役柄が本当の自分なんですよ!」と言ってるようなもん。 役柄は演じるための配役なのであって、自分は普段は○○さんという俳優じゃないですか。 そんな意味でも、今の結婚制度というものに疑問を持たざるを得ないわけです。 契約でしょ? お家存続のために子孫を残す契約。 そして、あなたは私のもの、私はあなたのもの、という意識を植え込むための。 家や妻・夫にがんじがらめにされるために契約を交わすようなもの。 ワシら!そんなために!生まれてきたんじゃない!!! と思うわけです。 自分という個性を与えてもらって、ここに存在する意味。 自分を表現するためじゃないですかぁぁぁ!!! と叫んでみたくなったりするのです。 今、この世界に存在できていることの有り難さを実感するためじゃないですか? 究極的にはみんなひとつ。みんな一緒。 なのにこのバラエティに富んだ個性を持っている意味は、それぞれの個性をそれぞれが、そして周りのみんなが、堪能するためじゃないですか? その自分を表現しないで、世の中こんなもん…と誰ともしれないものに足並み揃えようと、我慢をしたり縮小方向の努力をするなんて、本末転倒。 みんな違ってみんなイイ! …え?どっかで聞いたセリフ? いやだってコレ、真実ですもん♪ まず最初に、自分は他人と違っていても全然OK!ってところから!ですよね。 自分を受け入れて、そして周りの人を受け入れて、そうしたら、全部全部OK!って実感できる。 夫はまず、そのライン上に立ったんじゃないかな?って嬉しくなりました。 という、会見報告でございました…<(_ _*)> ながなが失礼♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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