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カテゴリ:日記
その両方は、実は無意味です。
そう言い切ってしまうと根も葉もない…じゃないなぁ、なんていうの?身も蓋もない、だ!(爆) でぇすぅがっ。 ことに、期待は無意味ですな。 それは自我の仕事です。 こうなるはずだ、ならなくちゃイヤだ、こうなってほしい!という願望ですから。 希望を持つことは、ある部分成長に繋がる場面もある。 でも希望を叶えようとして努力することは、今に満足せずに変化を求めることにも繋がる。 したらば、今を真剣に楽しんでない状況を生むこともある。 なので、一刀両断に申せば、期待も希望も無意味なのです。 そんなわけで。 今日は「期待」を思い切り体現しちゃう事態に見舞われ、猛反省中なわけです(爆) いやぁまだまだ未熟モンゆえ、未だに過去の習性に捉われるわけです。 接触不良の電球のように、付いたり消えたりするわけです。 その瞬間は期待に胸を膨らませ、ひゅるるるる~と期待が萎んだときに、ガッカリを伴う怒りを覚えたりするわけですが。 でも。 少しの進歩が見れるのは、その自分の状態をしっかりと分析把握ができ、あぁなるほどこれが自我のカラクリなんだと冷静に状況を捉えることができる、という点でしょうか。 ドンヨリ気分になるにはなるんだけど、その怒りと失望に自分が完全には同化しない、ということも言えますね。 なんにも変わってないんですよ、思考体系は。 ほんの数年前に考えていたことと、同じことを考えよりますよ、自我は。 だって、考えてるのは自我だもん。 だけど自我でない意識に気付いたら、あぁそれは自我の仕業なんだってのが見抜けます。 自我と同化しない意識ってのを発見できます。 うんうん、今日はそれを実感するために、期待という行動をしてみたんだな。 理解。 今はもう、そこに登場してくれた人物にも、ごめんね、ありがとう、という気持ちです。 そしてまた同じく、執着と愛の違いってのもあるよね。 執着は束縛を生み、がんじがらめで身動き取れない状況を生み出す。 愛は手放しで自由を尊重し、意志を尊重し、それだけで満たされる。 そこらへんを履き違えないようにしないとね。 今の私は自我と真我の狭間で、アッチいったりコッチいったりしてるわけで。 自我を捨て去ることはまたそれも違う気がするし。 自我を含めた自分が自分であると思うし。 それは自我だ、と認識しているだけで良いわけで。 どーしてもコレしたいのしないといやなのダメなの!ってダダをこねる自分自身も愛しいし(笑) アレがほしいコレもほしい、って物欲謳歌している自分も愛しいし(笑) こんなことしたら哂われちゃう(>_<)ってオロオロする自分も愛しいし(笑) だからこそ、そういうことをしているほかの人も愛しいし。 うんうん、わかるわかる、そういう気分になるよねぇ~って。 排除するものなんて、何ひとつないんだろうね。 悪意を持っている人や存在さえも、究極で言えば、自分自身の一部として愛しいし。 腹立つことと愛しいことは、反比例しない。 そんな意味不明な意識がグルグル渦巻きながら、風呂、入ってきます♪ じゃあね~ぃ♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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