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カテゴリ:共生意識
現在、私はアフリカのある地域に数年にわたって支援金を送っている。
その地域で活動するボランティアの活動資金であったり、施設建設費であったり、いろいろな用途に使われているようだ。 先日手元に、支援をしている子どもの写真が送られてきた。 わぁ~ずいぶん大きくなってる♪おめめクリクリで可愛いねぇ~☆ なんて呑気に喜んでいたが、報告書を読み進めるうちに気持ちに変化が…。 この報告書さえも、ボランティアの人が現地で写真をとり、聞き取り調査をし、現地語で聞いたものを英書し、それをまた日本語に翻訳し、その写真を添付し郵送してくれている。 お手数をおかけしていますm(__)m まぁ基本私はそういうことは要求しないし、行けるのであれば自分で現地に行きたいなぁくらいの気持ちではあるのだけど。 セットになってるみたいなのね…。 それと。 学校整備と、衛生管理と、農業支援を行っている模様。 教育の機会均等。病気の撲滅。生活資金の調達法伝授。 善意だよね、善意なんだと思うんだけど…。 先進国が先進国の方法論を後進国と呼ばれる地域に持ち込むことが、本当に善意なんだろうか…。 物質的に豊かに暮らしている地域の人々は、後進国と呼んでいる地域の人たちから学ぶことって、ないんだろうか? こんなことを教えてもらって嬉しいです、という報告書は全部を伝えてくれているわけではないだろうし、支援者が支援を続けたくなる誘い文句もある程度盛り込まれているのだろう…と想像できるけども、本当にそれが必要なのか?という疑問が生まれてしまった。 雑菌を消毒して衛生的な暮らしをして、農地に肥料を混ぜ込み金銭的に潤わせることが、支援なんだろうか? 言葉は悪いけども、先進国方式に毒されてしまったら、もう今までの文化は捨て去られてしまうのかもしれない。 生活水準を上げる。 その基準となっているのは、先進国方式だよね。それが本当にイイモノなのかな? その報告書で現地の人たちが、これからは石鹸で手を洗う、農作物を量産できる方法を知った、などと伝えてきている文章を読んで、なんだかそんなモヤモヤを感じてしまったのであった。 だからもうこれで支援を打ち切る、というのもまた違う気もするし。 支援の方向性・現地の未来図などといったものが、地球との共存・地域の文化を大事にしたものへの転換が図られることを意図しつつ、微々たる支援を続けていこうと思っている。 ただひとつ、学校からお昼ご飯を食べるのに今まで3キロの道のりを往復していたけれども、給食設備が出来たので歩いて帰らなくてよくなった、と喜んでいる子ども達には「よかったね!」って思ったけどね(´▽`*) 何が良くて何が良くないなんて決められないけれど、何か、尊重するべきものがあるような、そんな気がしたのでした…。 でも写真に写っている女の子、めちゃ可愛いの☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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