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昨日は阿部敏郎さんと向和尚のコラボ講演会に行って来ました♪
その前に禅ワークといって瞑想とかする会もあったのですが、彼さんが瞑想??えええ?それ行くのぉ?ってドン引きするだろうな~と思って(笑)、あとの講演会だけに出席。 向和尚を見たときに、初めてお会いするのだけどすっと馴染む感じがありまして。 アセ友たちと会ったときに、初対面とは思えずすっと馴染む感じってありますよね。 その感じ。 鎧がない。 そんで話が面白く、作為的なとこがなくてまっすぐストレートで真髄なのに、わかりやすい。 そんでなんだか愛嬌があって可愛らしく、人懐っこい(笑) で、地に足着いた人特有の安心感というか自信に満ちている。 以前、阿部さんのブログにも書かれていたと思うんだけど、「悟った人という自分のイメージを先行させがちだけど、向さんは座禅を終えて立ち上がったときに『いたたた、足が痺れた…いたたた』と行って去っていった」みたいなくだりがありましたよね? ほんとに飾り気がなくて、ありのままってこういうのなんだなぁ~って思えるような(笑) 飾り気って演じてる役柄だもんね。 悟った人間はこうあらねばならない、禅マスターならこうであるはずだみたいな作られたイメージや、人にこう見られたい、なんていう自分で作り上げた偶像。 そんなものが一切なくて、それは阿部さんも一緒で、その二人の会話ってまったくの素な感じで、だからこそスーっと入ってくる。 いやココだけの話、あまりに心地良いクーカンだったからつい…ウトウトと…(爆) やっぱり「いまここ」にあること、それが禅であるのです。 未来のこのときにはこうしようとか、過去のあのときにこうなっちゃったからとか、そういう一切合財は頭の中の世界であって、今のこのときに全身全霊を向けていることとは何ら関係のないこと、なんですよね。 どんなお話にもその中心軸が通っていて、気持ちがいい(笑) 純真無垢、赤ん坊とか子どもに使われる用語ですが、その状態の大人ってオカシイ? もしオカシイと思った人は、自分の中に「大人」に対する固定観念があるってことですね。 純真で無垢な状態を、赤ん坊の時に経験しているのなら、もうすでに経験しているのだから、大人になった今でもその状態になることは可能…なはずですよね。 もう大人だからいろいろ知りすぎていて無理だ…と決め付けているのは、自分自身に他ならない。 知ることで純真になれないのだとしたら、その知っている内容を検分して必要・不必要を選別し、いらない観念であれば手放せばいい。 不要なガラクタを整理すると、ポッカリとスペースが出来て、遠い昔に仕舞いこんでしまった純真も無垢も発掘することが出来る。 なんだか向和尚と阿部さんの会話を聞いていたら、そんな気持ちが満ちていました。 その時はまだモヤモヤとしていたんだけど、今思い返すと、そういう感じです。 三昧、目の前のことに心を込めて「いまここ」である状態。 それはちょっと先にしようと思っていることではなく、今していること。 さしづめ私はブログ記事三昧(笑) や、もうほんとにこれ書くのに明日の心配も過去の後悔もなにもないわけで、キーボードを打ち込むことのみに存在しているわけです。 どういう言葉を選び、どういう想いを乗せて、どう表現しよう、それしか考えてなく時間を忘れる…という状態。集中!ですよね。でも無我ではないかも…(笑) そんでまた仕事をしているときは、呼び込み三昧(笑)、陳列三昧(笑)、レジ打ち三昧!(爆) けっこう集中して仕事してます。時間忘れてます。 忘れすぎて「店長!レジ!」って呼ばれます…。そんなトコで無我の境地かぃ…( ̄∀ ̄;) いや、でもその目の前の仕事をしてる最中でも「次はアレしなくちゃ、こんなことしてる場合じゃない…」なんて思考がよぎっているときは、変な焦りやストレスちっくな気持ちが芽生えたりしますが、まったく集中してしまうと、静寂(自分がない状態)に入るときがあります。 だからレジの当番忘れるんですけどね(言い訳かいっ!(爆)) えーと…。 なんか話それた感がしなくもないですが…www そゆことです(へ?…) なんちゅーか、とにかく楽しかった!ってことで!\(-_-;) オイオイ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.09.21 00:16:45
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