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光り輝いてましたね 昨日は中秋の名月 今日は満月 昼間に見上げた空は真っ青な光 太陽はキラッキラに輝き そして運動会 真面目な顔をして一生懸命がんばってる姿 大きくなったもんだ…うぅッ(T_T) って泣いてないけど、感慨もひとしお。 日頃会わないから余計ね。 毎年恒例の運動会の後は娘たちとゴロゴロ撫で撫でして。 これも今年で最後かなぁ。 家を出て行った母親への自分の感情を娘たちに吹き込むことなく、彼女たちと私との仲を裂かなかった夫にも感謝。 娘たちは私をいつもと同じように受け入れてくれて、髪を梳かしたり鼻の頭の撫でたり、一緒にゲーム機を覗き込んだり、普通の一日を過ごせるありがたさ。 たま~にだから、よけいにそう感じるのかもしれないけどね(笑) そんで帰り道で見上げた夜空に、満月。 5年前には泣きながら昇った坂道を満月を見上げながら歩く。 あぁそんなに年月が経ったんだなぁ。 今はほのぼのと幸せで過ごせてるんだなぁ。 娘たちも気持ちを離してしまうことなく今もいてくれるんだなぁ。 なんとなく、ひゃ~。。。という気分で嬉しいのか沈んでるのかわからなくて(笑) 木さんに触れて落ち着こう…と思って1本の木に手を当てると。 なにこれ! 生木にクギ打つかぁフツー!? なんちゅ~こと! 大丈夫? ≪皮だから。でもあんまり嬉しくない…≫ 木さんはそんな感じだったけど…。 広告のために生きてる木にクギ打ち込む店、あんまり自然に優しくないね。 都会の木さんはいろいろと負担が大きいようで…。 こないだは街路樹の手入れで、枝をバサバサ切り落としていて。 今日見下ろした公園とかでは「植栽」と呼ばれて、建物に彩りに添えている感覚。 世話してやってる的なんだけど、実際は植物に酸素を供給してもらって生きている。 近視眼的に目の前の植物を見るか、拡大視野でもって地球全体を見るのか。 遠くに見える山の木々と、目の前の公園の木々。 繋がっているんだろうね。 どこに生えていても一緒、って木たちは思ってるんだろうけど。 でも、人間の側が近くにいる木さえも大事に出来ないならば、遠くに生えてる木に思いを馳せるなんてこと、出来ないよね。 熱帯雨林がバッサバッサ切り倒されていようが、目の前の木にクギを打つ。 想像出来ることは実現できる。 想像力が乏しいと…。乏しい現実を創っちゃうね。 想像力って空想癖とか妄想とか同情とかじゃなくて、思い遣りってことだよね。 木や石ころにも愛を。 そんでもって鉄骨だってコンクリートだって、自然の成分を加工したもの。 自然界からお借りしたものでもって、都会の街並みだって出来ている。 地球にある成分で、全てのものは成り立っている。 ワシら人間が自然界の頂点でもなんでもない。 お借りしたものが何もなければ、生きてくことだってままならない。 だったらさ。 建物にも何にでも、地球を感じることが出来るし、ありがとう♪って気持ちになる。 いろいろ貸してくれてありがとうね、大事に使うね…って気持ちになる。 間違っても生きてる木にクギは打てねぇぜ!(まだ言うw) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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